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年収や資産額を競い合う限り、幸せにはなれない論理的な理由

世の中に増えてきた「マウント合戦」

皆さんも、どこかで一度はマウンティングをしたことがあるのではないでしょうか?

マウンティングの例を挙げると、

「俺は年収1000万円なんだぜ!」
「私は資産3000万円達成しました。」
「自分の息子は名門中学校に受かりました」
「港区タワマンの最上階に住んでいます」

などなど…

こんな自慢をしている人、もしくは自慢したがる人、非常に多いですよね。

もちろん、実生活でこんな人はいなくとも、SNSにはこういう人で溢れ返っています。

しかし、僕は断言します。


マウンティングをすること自体が無意味だし、マウンティングをする限り、絶対に幸せになれない。


ということを。

ということで、本日は年収や資産額を競い合う限り、幸せにはなれない論理的な理由について詳しくお話していきます。ぜひ最後までご覧ください。


マウンティングをした時点で、100%負け確

どうしてマウンティングに意味が無いかというと、100%負けが確定している戦いだからです。

マウンティングとはそもそも、相手と自分を比較して、上から目線で自分の優位性を示す行為のことです

「相手と自分を比較」というところがポイントでして、マウンティングをする限り、「この世の誰か」には必ず負けてしまうのです。

例えば、「自分は年収1000万円です!」「いやいや、俺は年収2000万円ですから!」と、自分の年収をSNSにアップすることに躍起になっている人、いますよね。

こういう人たちは、永遠に劣等感を抱き続けることになります。

なぜかというと、世の中には自分より年収が高い人は大勢いるからです。

自分の年収をどれだけ高めても、その頂点に立たない限り、自分より年収の高い人は必ず存在するのです。

仮にあなたが年収2000万円プレイヤーだったとしても、1億や2億の年間報酬を貰っている人が山ほどいるわけです。

仮に自分が上場企業の社長になったとしても、上には上がいます。米国企業の役員報酬と比較すれば、日本の雇われ社長の役員報酬なんて米粒程度です。確実に負けます。

ということで、年収をマウンティングする限り、世の中には必ず自分よりも高い年収の人がいるのですから、当人は劣等感を抱かざるを得ないというわけです。

つまり、マウンティングとは、常に負け確定のゲームに参加しているようなものなのです。

マウンティングをする人は、心が貧乏である

「でも、誰しもが頂点に立つ可能性が無いとは言い切れない。100%負け確定なんて言い過ぎじゃないの?」

と思う方もいるかもしれません。

もちろん、あなたが世界一のお金持ちになる可能性は0ではありません。

しかし、仮にビジネスに成功して、周囲の誰にも負けないお金持ちになれたとしても、今度は「由緒正しき昔からのお金持ち」に劣等感を抱くようになってしまうのです。

例えば、これは成金の人に多いのですが、成功していきなりお金持ちになると、「自分には何も教養が身に付いていない」と、なぜか落ち込み始めます。

僕も投資家や経営者など、「自分の力でのし上がってきたお金持ち」の類の方々と交流してきました。

そんな彼らは口を揃えて「自分には教養が足りない」「自分の教養の無さを思い知る」と言っています。お金持ちになると、自分の「教養の無さ」に劣等感を抱くようになるのです。

そして、そんな彼らはある日を境にして、急にお茶のお作法や華道・ワイン…等々の教養を勉強するようになります。突然、古き良き文化を嗜み始めるのです。

しかし、今更そんな教養を勉強し始めたところで、「由緒正しき昔からのお金持ち」には勝てるはずがありません。


周囲と自分を比較して、年収や資産額マウンティングをしている限り、必ず誰かしらに劣等感を抱かざるを得ないのです。


ちなみに、「由緒正しき昔からのお金持ち」というのは、代々に渡る地主さんや資産家の方々のことを指します。いわゆる、働かなくても不労所得で財を得られる人たちのことですね。

元々お金持ちの家庭に生まれたら、お金を稼ぐ必要性も皆無です。ひたすら芸当や教養を勉強できるので、幼少期から知識も豊富です。

お分かりの通り、元々お金持ちの人に「お金持ちマウンティング」をしても到底敵いません。敵わないというか、そもそも彼らは自分がお金持ちであることをひけらかしたりはしませんので、マウンティングそれ自体が虚しい行為に見えてしまいます。

ちなみに、僕自身は慶應大学出身なので「由緒正しき昔からのお金持ち」の人をこの目でたくさん見てきました。

彼らは「マウント」とは無縁の人生を送っているので、とても心が豊かです。あくせくせず、優雅な日々を過ごしています。

彼らは最初から「人生に何が必要なのか」を把握して過ごしているので、焦りすらも感じていません。

また、彼らはお金に執着しないので、本当に自分の好きなことを極められます。精神的にも安定しており、醜い嫉妬やマウント合戦も一切ありません。

このように、心が豊かで生まれながらに教養を持っている人とお話しすると、自分は「お金」という、なんて浅ましいものに執着しているのだ!と、再び劣等感に苛まれてしまうのです。

そんなわけですから、「世の中は金だ!」「一発起業して金持ちになるんだ!」と強欲な夢を持つ人たちは、いつまでたっても心が貧乏なままなのです。

どう頑張っても超えられない壁にマウントし続けるのは、時間の無駄です。

常に劣等感を抱く羽目になり、不幸を感じるだけの人生になってしまいます。

結局、誰かに勝つことを幸せの基準にしている限り、いつまでも幸せにはなれないのです。

大成功した人の行き着く先は、心の浄化

ちなみに、「お金持ちになりたい!なってやるんだ」という人の思考が巡りに巡り、成功後、どこに行き着くかというと、1つの例は「精神修行」になります。

かの有名な京セラの創設者、稲盛和夫氏が良い例です。

稲盛さんは時価総額1兆円超えの企業を作り上げ、誰もが羨む富と名声を手に入れました。しかし、65歳のときに「心の浄化に努めたい」と希望し、仏門に入ります。

どれだけ大成功した人であっても、考え抜く先は、1人で瞑想をする。つまり、最終的には「心や精神の豊かさ」を求めるのです。

「年収を高くしなければならない」「俺の資産額は〇億円だ」とマウンティングしている人は、その発言をしている時点で、「器の小さい人間」になります。心も全く豊かにならず、視野の狭い世界を生きることになってしまいます。

年収や資産額・学歴にしても、マウンティングは人生で何もメリットを生み出さないのです。

幸せに生きるためには、過去の自分と比較する

それでは、僕ら凡人はどうすれば心豊かに過ごせるのでしょうか?

答えは、他人ではなく、過去の自分と比較すればいいのです。

心の豊かさが1番重要とお伝えしてきましたが、凡人全員が毎日瞑想をし、仏門に入れば良いということではありません。

毎日を幸せに生きる秘訣は、自分と他人を比べるのではなく、過去の自分と今の自分を比べればいいのです。至って単純明快な解決策です。

「去年より年収が上がった」「去年より資産が増えた」「去年より英語が上達した」「昨日よりたくさん寝た」「ひと月前より子どもが成長した」

他人のSNSを見て劣等感に消耗されるのではなく、昨日の自分・過去の自分と比較してください。

このマインドで生きていれば、常に幸せでいることができます。いつも幸せでいれば、人脈もお金も自然と寄ってきます。結果的には、素晴らしい人生を作ることも可能です。

他人と比較してマウント取る生き方は、すぐにやめましょう。

自分と他人を比べても本当に意味がありません。結局のところは、どれだけ自分らしく生きていけるか、が大事だと僕は思います。

ちなみに僕自身は、


「過去の自分と比較して、労働時間をどれだけ減らせたか?」


を常に考えています。

労働時間が短くなっているということは、それだけ自分の人生が豊かになっている証拠です。

労働時間最小化、幸福最大化の理屈については以下の記事にて詳しく書いているので、興味のある方はよかったら読んでみてください。

心の豊かさを意識して、気持ちを楽にして、人生をエンジョイしていきましょう。

ではでは

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