モンスターショック
俺は長毛獣人ビッグフットだ。
俺は俺が長毛獣人ビッグフットであるということをつい先日知った。
俺に俺が長毛獣人ビッグフットであるということを教えてくれたのは、ウィリアムさんだ。
経緯は先日、俺がいつもの道を歩いていたとき。
頭の大きな、胴体と同じくらいの大きさ、その中央部に目蓋のない大きな目が二つあり、頭部には目以外のもの、鼻や口、耳などがひとつもなく、大きな頭を支えている細くて華奢な首、胴体から伸びたひょろ長い手足は、その先が異様に大きく、体毛はなく、垢のようなものがこびりついた鮫肌は、黄色味がかったピンク色の、体長一〇五~一二〇センチの生物が林の陰から現れて、
「やあ、ビッグフット」
と気さくに話し掛けてきたことに端を発した。
「やあ、ビッグフット」
「ビッグフット?」
「ああ、ビッグフット」
「その、ビッグフット、とはなんだ?」
「知らないのかい? 人間は君のことを、長毛獣人ビッグフット、と呼んでいるんだぜ」
「人間?」
「驚いた。君は、人間、も知らないのかい? 人間、とはこの生き物のことさ」
そう言って目の前の生物は盤状のようなモノを取り出して、すっ、すっ、すっ、大きな指でなにやら盤の上をなぞり、私に盤を見せてきた。
「ああ、これのことか。俺を見るなりいつも一目散に逃げてゆくやつだな。これを、人間、と言うのか?」
「うん、そうだ」
「ふうん。それで、この、人間、が俺のことを、長毛獣人ビッグフット、と呼んでいるのか。長毛獣人ビッグフット、悪くない響きだ。よし、いまから俺は俺のことを、長毛獣人ビッグフット、と名乗ることにしよう。ところで、お前はなんだ? ここいらでは見ない顏だが」
「僕かい? 僕は人間から、ドーバー・デーモン、と呼ばれている存在さ。便宜上、ウィリアム、とでも名乗っておこうか」
「そうか。なんだかよく知らんが、はじめまして、ウィリアム」
「はじめまして、ビッグフット」
「いやあ、それにしても暑いですな」
「ホントホント」
「なんだか年々暑くなってゆくような気がしますな」
「気候危機、というやつですね。人間の排出する二酸化炭素が原因で地球の気温が急激に上昇しているのですよ」
「気候危機? 二酸化炭素?」
「まあ簡単に言うと、人間、の所為で、僕たちは近い将来滅んでしまうということです」
「マジすか?」
「マジっす」
「ヤバいじゃないですか。じゃあその、人間、早く殺さなきゃ」
「それが、人間、はこの地球上、地球、というのは僕たちが生活しているこの土地のことですね、地球上に七十億も存在しているのです」
「マジすか?」
「マジっす」
「駄目じゃん。一対一だったらあんなやつ、絶対に負けないのに、七十億もいたんじゃ切りがない」
「切りがないですよね。ところが、七十億の、人間、を一掃させる方法があるのです」
「マジすか?」
「マジっす」
「教えて下さい」
「知りたいですか? では一週間後、七日後の同じ時刻にここでお会いしましょう。それまでにこの本、読んでおいて下さい。それでは」
これが俺、長毛獣人ビッグフットとウィリアムさんとの出会いだった。
七日後。
七日前と同じ時刻、同じ場所で待っていると、
「やあ、ビッグフット」
林の陰からウィリアムさんが現れた。
「こんにちは、ウィリアムさん。今日も暑いですね」
「ホントホント。君なんか全身長毛だから、余計に暑いんじゃないかい?」
「いや、これが意外と平気なんですよ。ところで本、読ませて頂きました。もう目から鱗が落ちる落ちる。いまとなっては七日前の自分が思い出せないくらい、人生観変わっちゃいました」
「それは良かった。今日はそんな君に会わせたい友人がいてね、いま呼んでもいいですか?」
「勿論。是非お会いしたいです」
「ありがとう。それでは、親愛なる僕の友人、カポーニ。出てお出で」
ウィリアムさんが手招きすると、林の陰から、身長約九〇センチ、手は短く、足が非常に長く、眼球の無い黒い目、歯の無い口、肌は血のような分泌物で覆われていて、胸からチューブのようなものが垂れ下がった生き物が、まるで怯えているように、ゆっくりとした足取りで恐る恐る現れた。
「カポーニ、こちらが長毛獣人ビッグフットだ。ビッグフット、こちらが君に会わせたかった親愛なる僕の友人、カポーニだ。人間によるところの、異星人、ということになっている」
「異星人ですか。それは素晴らしい。はじめまして、カポーニさん」
挨拶するとカポーニさんは短い手を動かして、もじもじしていた。
「すみません、ビッグフット。この通り内気なもので。こら、カポーニ、きちんと挨拶しないか」
「いえいえ、いいんですいいんです。見ての通りこの巨体ですし。これからよろしくお願いしますね、カポーニさん」
そう言うとカポーニさんは、眼球の無い黒い目を八の字にして、口角を上げてにんまりと笑ったように見えた。
その表情を見て安堵した俺は、ウィリアムさんの方を向いて早速本題に入った。
「ところで、先日仰ってらっしゃった、七十億もの人間を一掃する方法とは一体どのようなものなのでしょう?」
「そうですね、お答えしましょう。カポーニ、例のあれを出してくれるかい? うん、ありがとう。これです」
「なんですか、その液体の入った小さな容器は?」
「これはカポーニが開発した、ウイルス、です。分かりますか、ウイルス?」
「はい。ウィリアムさんから頂いた本で勉強しました」
「good! このウイルスはこの上ない大きな感染力を持っていて、致死率は一〇〇%、人間しか感染しません」
「そうすると、どうなるのでしょうか?」
「簡単です。これを空中に散布すればよいのです。このように」
「あっ」
「これで完了です。後は感染するのを待ちましょう。ビッグフット、よろしければこれから僕のmy homeに招待します。カポーニ、君も来るだろ?」
ウィリアムさんが言うと、カポーニさんは胸から垂れ下がったチューブを嬉しそうに前後に振った。
「カポーニも来るそうです。僕のmy homeで人間が絶滅してゆく様子を高みから見物するとしましょう。さあ、こちらです」
体長は四・五メートル、胴体の幅は約八〇センチ。肌は鱗も無くイルカのようにツルッとして、体色は上下二色、上の部分は暗茶色、下の腹に当たる部分は白色。また、長さ約五〇センチくらいの手足を思わせる外肢が前後に四つ突き出しており、頭部はイルカの特徴を示しているが、長さ八〇センチくらいの長いくちばしを持つ水棲生物が、壁一面にはめ込まれた水槽の中を気持ち良さそうにたゆたっている。
「酒、のお代わりはいかがです?」
目蓋のない目を大きくさせたり小さくさせたりする、ウィリアムさん。
「頂きます。存外イケますね、この、酒、なる飲料は。脳が痺れてアホになると言いますか」
「でしょう? ハシシュもどうぞ」
巨大なボングを渡された俺は、吸い口に口を付けて大きく息を吸い込んで、はあああああああああああああああ、口と鼻から煙突のように大量の煙を吐き出した。
その俺のすぐそばをスタスタと通り過ぎる、体長一〇〇~一三〇センチ、カンガルーのような長さ五〇~六五センチの尾を持つタスマニアタイガー。
「お代わり、お持ちしました」
「ありがとうございます」
「カポーニも楽しんでいるかい?」
円いテーブルの右斜め隣り、背の高い椅子に座ってピンク色の肉の塊をねぶっていたカポーニさんは、ウィリアムさんに話し掛けられると、頭を激しく震わせて頷いた。
「わっはっは。カポーニさんも楽しそうだ。いやー、それにしても凄いっすね、カポーニさん。七十億もの人間を一掃するウイルスを開発されるなんて。ソンケーっす」
「カポーニは母星でも優秀な科学者でね、あのウイルスも一晩で完成させたんだ。なあ、カポーニ」
カポーニさんは短い手を挙げて、ぽりぽりと頭を掻く仕草をした。
「一晩ですか? それは凄い。そのような優れた科学力をお持ちなのに、どうしていままでその力を行使してこなかったのです?」
「行使してこなかった訳ではないのですが、まあ僕もカポーニも基本的には、この星の事柄には干渉しない、というスタンスを取っていまして」
「ほう」
「というのも、僕もカポーニと同じく異星人でして、この星を観察して情報を収集し、時には今回のウイルスのようなアクションを起こし、その結果を母星にフィードバックする、というミッションを担っているのです。この星で言う、外交官、のようなものです」
「そうだったのですね。いやー、マジ、ご苦労様っす。よし、それじゃあ今日ぐらいハメ、外しちゃいましょう。俺、チンドン屋の真似します。チンチンドンドン、チンドンドン。チンチンドンドン、チンドンドン。ほら、お二方も立った立った。チンチンドンドン」
「チンドンドン」
「チンチンドンドン」
「チンドンドン、ア、ヨイショ」
「チンドンドンドン」
「チンドンドン」
「わっはっはっはっは」
「げらげらげらげら」
「う、うーん、いつつ、頭痛い。おおい、おおい、オウルマン、いま何時だ?」
目を覚ました俺は、途中から宴に参加した、人間の胴体、とがった耳を持ち、フクロウのような顔をした鳥人、オウルマンに声を掛けた。
ところがオウルマンは、人間なら腕があるところに生やした大きな羽根を広げて、むにゃむにゃむにゃ、大の字になって仰向けに寝っ転んでいた。
「やれやれ、呑気なやつだ。おおい、モギィー」
これもまた途中参加の、人間から、エイリアン・ビッグ・キャット、と呼ばれている、ピューマに似た黒い獣、モギィーも、大きな体躯を丸めてすやすやと眠っていた。
他にも、体長一・二メートル、ざらついた肌にカエルのような顔を持ったカエル男、チャールズ。体長は約二メートル、灰色の体毛に覆われた、筋骨たくましい体、黄緑色の目は猫のそれに似て、二本の角を持つ頭部は羊の怪人、ベンチュラ。顔が馬、長くカールした手の指を前にかざして、足には蹄、肩から背中にかけて蝙蝠のような翼を生やした、ジャージー・デビルのケリー。体長二・五メートル~三メートルぐらい、体色は黒褐色で鳥のような華奢な後ろ足を持った、長い尻尾が印象的の肉食恐竜コエロフィシスのミッチェル等々のメンバーは、余っ程はしゃぎ疲れたのか、各々勝手なポーズをとって休んでいた。
俺はみんなを起こさないようにそっと歩いて、ウィリアムさんの部屋に向かった。
途中、ケリーの太い尻尾を踏んでしまい、ケリーは、
「ギーッ、ギーッ」
と奇声を発した。
そんなこんなでようやっとウィリアムさんの部屋にたどり着くと、ウィリアムさんは背もたれのある椅子に座って腕に管を通し、点滴の要領でウイスキーを摂取していた。
すぐに俺の存在に気付いたウィリアムさんは、椅子を一八〇度ターンさせて、俺の方に向き直った。
「おはよう、ビッグフット。寝てなくて大丈夫なのかい?」
「ええ。なんだか目が冴えちゃって。ウィリアムさんこそ寝なくて大丈夫なんですか?」
「僕かい? 僕の星には、眠る、という習慣がないものでね。それよりも昨晩は楽しかったね」
「わっはっは。ホント楽しかったっす。みんなはしゃぎ疲れてバタンキューですよ。あれ? カポーニさんは?」
「帰ったよ。どうれ、様子でも見に行くか。ビッグフット、君も来るかい?」
「いいんですか? 是非行きたいです。けれども、カポーニさんのところまでどうやって行くのです?」
「ワープ、を使います。俗称、超光速航法ですな。それでは管を外して、よいしょ、お待たせしました。さあ、ビッグフット、僕の手を取って。いきますよ、えいっ」
「はんっ」
思わず声が出てしまった次の瞬間、ぱっ、と視野が変わって、おびただしい数のモニターが目に入ってきた。
「こ、これは」
俺が呆然としていると、
「カポーニの部屋です。やあ、カポーニ、首尾は上々かい?」
そう言ってウィリアムさんは、背の高い椅子に座り、見たことのない機械を操作していたカポーニさんの元に歩み寄っていった。
俺はしばらくの間、部屋の隅々を眺めていた。
「ビッグフット、君もこっちに来て見てごらん」
「はい」
のっし、のっし。俺は一歩一歩確かめるような足取りでお二方に近付いて、モニターを覗き込んだ。
「見てごらん、ウイルス、が早速アラスカ州のホットトピックになっている」
「ホントだ」
「先進国の一部のメディアも報道し始めたようだね」
「マジすか?」
「マジっす」
「ということは?」
「首尾は上々のようです」
「やったー」
「後は、人間、が何日持つかどうか。ビッグフット、君はどう思う?」
「そうですね。なんせ七十億ですから。なんだかんだいって、ひと月くらいは持ちこたえるんじゃないですか」
「ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ、ちっ」
「なんです? 不敵な表情を浮かべながら大きな指を左右に動かして?」
「ふっふっふっ。ズバリ言い当てましょう。七日です。人間、は七日も持たないでしょう」
「ほう、これはまた大きく出ましたな」
「賭けましょうか?」
「面白い、乗りましょう。しかし、賭ける、といっても一体なにを賭けるのです?」
「こういうのはどうです? 負けた方が勝った方の願いをなんでもひとつ叶える、というのは?」
「それは良いideaですね。よろしい、お受けしましょう」
「そう来なくては。では、人間、がひと月持ちこたえたらビッグフット、君の勝ち。七日も持たなければ僕の勝ち。ということで」
「オッケーです。ようし、ひと月持ちこたえてくれよー、人間」
「はっはっは。七日で滅びろー、人間」
「はんっ」
ウィリアムさんの超光速航法でウィリアムさんのmy homeに戻ってみると、
「うわっ、ぬるぬるして廻しが摑めない」
「あれ? 手が滑って廻しが摑めない」
鳥人、オウルマンと、体表がてかり、ぬめった、体長二メートルはゆうに超える毛むくじゃらの怪物、ビッグマジーが、どこからそんな物を持ってきたのか、土俵の上で相撲を取っていた。
「くそう、かくなる上は、とうっ」
大きな羽根を広げて、黒い鉤爪の足で思いっ切りジャンプして宙に逃げようとするオウルマン。
「ばさっ、ばさっ、うわっ、羽根がぬるぬるして上手く飛べない。うああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ひゅるるるるるるるるるるるるるるる、とんがらがっしゃん。オウルマンはバランスを崩して、土俵の外に墜落した。
「勝負あり。ビッグイギー」
土俵の上で行司の真似事をしていたカエル男、チャールズは、軍配団扇をかざして声高々と勝ち名乗りを上げた。
「なにやってんだか」
「はっはっは。愉快でいいじゃありませんか。ビッグフット、僕はこれから部屋に戻って母星に報告をします。君は適当にゆっくりしていて下さい。じゃ、また後で」
「賭けの件、忘れないで下さいよー」
俺は自室に戻るウィリアムさんの背中に念を押した。
「さて、どうしたものか」
とりあえずボングを拾い、吸い口に口を付けて大きく息を吸い込んで、はあああああああああああああああ、口と鼻から煙突のように大量の煙を吐き出していると、
「賭け、ってなんのことだい?」
どきっ。体は兎、頭には鹿の角が生えたジャッカ・ロープが、いつの間にか俺の足元に、ちょこん、と座っていた。
「うわっ、びっくりした。ジャッカ・ロープ、いつからそこに?」
「まあいいじゃないか。それより教えてくれよ」
「仕様が無いな。かくかくしかじか、という理由さ」
「ふうん、そうなんだ。いいこと思い付いた。おおい、みんな、ちょっと集まって」
ぴょん、と前に出て、ジャッカ・ロープが呼びかけると、宴のメンバーは各々の足取りでジャッカ・ロープの元にぞろぞろと集まってきた。
ジャッカ・ロープは集まってきたメンバーに話題を持ちかけた。
「実は、かくかくしかじか、という理由なんだ。そこで、ウィリアムさんとビッグフット、どちらが勝つか、みんなで賭けをしないかい?」
「いいね」
「やろうやろう」
「賛成ー」
「ありがとう、ありがとう。じゃあまずは、ウィリアムさんが勝つと思うひとー」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「はいっ」
「全員じゃないですか。これじゃあ賭けにならんがな。誰か、ビッグフットに賭けるひと、いませんかー」
「しーん」
「参ったな、誰もいないんじゃあどうしようもない。お開きに、おや? ジャージー・デビルのケリー、どうしました?」
「いやー、僕、ビッグフットに賭けてもいいかなー、なんて」
「おおっと、ここにきてケリーがビッグフットに賭けたー。これでもしもビッグフットが勝ったらケリーの一人勝ちだ。さあさあ、他のみんなはどうする?」
「うーん、俺もビッグフットに賭けようかな」
「やめとけやめとけ、ウィリアムさんに賭けときゃ間違いないって」
「そうそう」
「うんうん」
「でも、もしもビッグフットが勝ったら…」
「ケリーの一人勝ち…」
「俺、やっぱ、ビッグフットに賭けまーす」
「俺もー」
「馬鹿だなあ、羊の怪人、ベンチュラ。絶っ対、ウィリアムさんだって」
「馬鹿、とはなんだ、カエル男のチャールズ。俺は前からお前のそのギラリと光る目が気に入らなかったんだ」
「なんだと? やるか」
「応ともよ。ボカ、ドカ、ゴツン、もくもく」
「やめなよ、痛っ、やったな、このー」
「面白そうだ、俺も参加しよ。ボカ、ドカ、ゴツン、もくもく」
砂ぼこりを上げて、ドタバタと喧嘩を始めたメンバー。
「おい、ジャッカ・ロープ、止めなくていいのか?」
「げらげらげら。おもろいからしばらく放っておきまひょ」
ようやっとのことで喧嘩が収束し、前評判を覆して七:三、七割がウィリアムさんに賭けて、三割が俺、長毛獣人ビッグフットに賭けるといった結果で、場はお開きとなった。
集まったメンバーは散り散りに場を離れ、各々また勝手気ままに過ごし始めた。
「いやあ、君のお陰で楽しませてもらったよ。げらげらげら。」
そう言い残してジャッカ・ロープも、ぴょこん、どこかへ行ってしまった。
「やれやれ、飲み直すか」
鮪のカブト焼きを肴に酒を煽っていると、
「さっきは災難だったね」
そう言って、黒灰色のなめした皮のような肌、喉の辺りはペリカンに似て袋状になった、翼長一五メートル、体長一二メートルの翼竜、ジェームズが隣りに来た。
「そうでもないさ」
「はっはっは、君らしいな。実はさっきの賭け、僕はビッグフット、君に賭けたんだぜ」
「君もとんだ勝負師だな」
「いや、こう見えて僕の勘は結構当たるんだぜ。それよりもビッグフット、酒ばかり飲んでいても退屈だろう? 一緒に表の空気でも吸いに行かないか?」
「いいね。行こう」
俺は酒をテーブルに置き、ジェームズの後に付いて表に出た。
「うーん、空気が澄んで気持ちいい」
「ああ。それに良く晴れている。ビッグフット、背中に乗りな。そこいらをドライブしよう」
「いいのかい?」
「勿論」
俺はジェームズの瘤のある背中に乗って、ばさっ、ばさっ、ばさっ、ばさっ、空中散歩に出掛けた。
「へえ、空から見るとこんな風に見えるんだなあ」
「なかなかのものだろう?」
歯の並んだくちばしで笑いを作るジェームズ。
「あの連なった山々は随分と大きいね」
「あれは、デナリ、というんだ。コユコン族の言語であるコユコン語では、高きもの、偉大なもの、を意味する。七大陸最高峰のひとつにも名を連ねているらしい」
「ふうん。あっ、向こうで鳥が飛んでいる」
「あれはテラトルニスコンドルのサンダーソンだな。おおい、サンダーソン」
ジェームズが呼びかけると、翼長が一〇メートル、体長は二~三メートル、頭部にはまったく毛が無く、首は長くS字形に曲がり、白いリング模様のある怪鳥が、ばさっ、ばさっ、ばさっ、ばさっ、俺たちの元に旋回してやってきた。
「やあ、ジェームズ。おや? 背に乗ったお客さんはどなたかな?」
「彼はビッグフット、長毛獣人さ」
「はじめまして、サンダーソン」
「はじめまして、ビッグフット。イカしたルックスをしているね。ところでジェームズ、ここ二、三日で人間の姿をめっきり見なくなったのだけれど、なにか知ってるかい?」
「それが、かくかくしかじか、という理由さ」
「なるぼど。道理で人間の姿を見ない理由だ。いやあ、近頃の人間の言動には目に余るものがあると一家言を有していた身としては、胸のすく思いだよ。ちょっとその辺、一周してきてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「ひゃっほー、ばさっ、ばさっ、ばさっ、ばさっ、やったー」
「はっはっは。見ろよ、あのはしゃぎよう。サンダーソンのやつ、余っ程嬉しかったようだね」
「そうだね」
「縦に立ち上がって急上昇してる」
「コブラ軌道。げらげらげら」
「げらげらげら」
「なあ、ジェームズ」
「なんだい?」
「実のところ、君は人間がひと月持ちこたえると、腹の底から思っているのかい?」
問うとジェームズは、鮫のヒレのような非常に薄い尾を振って、長い首を器用に傾げながら答えた。
「ふっふっふ。どうだろうね」
「進捗があったら教えてくれたまえ。それでは、さらば」
散々はしゃいだ後に、キメ台詞を残して巽の方角へ去っていったサンダーソン。
「んじゃ、僕たちも」
「ぼちぼち戻りますか」
そんな会話を交わしたり交わさなかったりして、僕とジェームズはウィリアムさんのmy homeに戻った。
リビングに入ると、数名のメンバーが集団になって壁一面にはめ込まれた水槽の前に集まって、ほう、やら、これはまた、などとわざとらしい嘆声をもらしていた。
水槽の中では、体長約一五メートル、馬によく似た頭部、蛇のように長い胴、背中に瘤、もしくはコイル状の突起がある巨大海竜キャディが、悠然と泳いでいたと思ったら素早く体を反転させ、時速四〇キロくらいの猛スピードで泳ぎ去る、などしていた。
「やれやれ、なにがそんなに面白いんだか」
俺はソファーベッドに横になり、腕を組んで目を瞑った。
目蓋の裏で、俺は薄暗がりのようなところを、なにか一所懸命に喚きながら歩いていた。涙をだらだら流しながら滅茶苦茶に歩いていた。何物かに対してか、摑みかかりたいような気持で、手を振り、足を踏みならしながら、なにか叫んでいた。そのまま、ゆるゆると浮き上がってくるようにして目が覚めた。汗をびっしょりかいていた。目の前にウィリアムさんが立って、オレンジ色のビー玉のような目で俺を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか、ビッグフット? うなされているようだったけれども」
「ええ、大丈夫です、大丈夫です。どうやら夢を見ていたようで。それよりもウィリアムさん、どうなさいました?」
「うん、君に報告があります」
「なんです?」
「人間、滅びました。四日と八時間四六分四〇秒でした」
「マジすか?」
「マジっす」
「うわー、ひと月どころか七日も持たなかったかー。ということは、賭けの方は」
「僕の勝ち、ということに必然的になります」
「おめでとうございます。俺の敗北です。ええと、どうなっていたんだっけ? ああ、そうそう、負けた方が勝った方の願いをなんでもひとつ叶える、でした。さあ、ウィリアムさん、願いをなんでもひとつ仰って下さい」
「それでは遠慮なく。僕の願いはビッグフット、君に僕の仕事を引き継いで貰いたいのです」
「ほう」
「というのも、僕はこの仕事につくづく飽いてしまいました。なので仕事は君に引き継いで貰って、僕は、バケーション、を取ろうと思います。ロング・バケーション、というやつです」
「そうですか。子細承知しました。お受けしましょう」
「ありがとう。仕事のマニュアルやなんかはこの盤の中に全て入っているのでお渡しします。パスワードは、七九〇四二一、です。操作方法は分かりますか?」
「ええ、何度か触らせて貰ったので大丈夫です」
「それは頼もしい。それでは現時刻をもってビッグフット、君に僕の仕事を引き継ぎます。よろしくお願いします」
「お疲れ様でした」
「いやー、終わった終わった。おおい、みんな、ちょっと集まってくれないか」
「なになに?」
「うーん、尻痒い」
「ぞろぞろ」
「ぞろぞろ」
「みんな集まったね。実は、かくかくしかじか、という理由なんだ。ということでみんな、いままでありがとう」
ウィリアムさんがそう言うと、みんな堰を切ったように嗚咽号泣を始め、なかでもトカゲ男のクリストファーなんかは悲しみのあまり自らの爪でリストカットをするなどして、場は一気に騒然となった。
俺は阿鼻叫喚の最中、声を振り絞ってみんなに訴え掛けた。
「みんな、落ち着こうよ。ウィリアムさんが決めたことなんだ。本当にウィリアムさんのことを想うなら、ウィリアムさんの気持ちを尊重してあげようよ。そうだろ、みんな?」
しーん。俺の訴え掛けで、騒然となった場は見る見るうちに収束して、ひっく、ひっく、すすり泣きが聞こえるなか、エイリアン・ビッグ・キャットのモギィーが発言した。
「ビッグフットの言う通りだ。みんな、最後くらい笑顔で送り出そうぜ。なあ」
モギィーの発言に反応して、肉食恐竜コエロフィシスのミッチェルが、
「そうだね。笑顔で送り出そう」
賛同すると、今度は毛むくじゃらの怪物、ビッグマジーが、
「俺、歌いまーす」
胴間声で歌い出して、大合唱が始まった。
さらばラバウルよ 又来るまでは
しばし別れの 涙がにじむ
鳥人、オウルマンが宙を舞っている。
カエル男のチャールズは、手を猫の手のように曲げて、シュッシュッ、と言いながら、おそろしくテンポの早い出鱈目の踊りを踊り出し、よろめく脚を軸として独楽のように廻った。
なにか弥次が飛んだようだけれど、はっきり聞こえない。
向こうの方で、麦酒瓶の砕ける音がした。
地獄の阿鼻叫喚は、狂乱の宴へと変化していった。
「やれやれ、ホント困った連中ですね。あれ、ウィリアムさん?」
傍に居たはずのウィリアムさんは煙のように消えて、ついぞその姿を見ることはなかった。