平凡な僕の「情報論」
「国やマスコミが言っていることはウソばかり」
これは、僕の義理の兄の口ぐせである。
国やテレビの言うことは嘘だと言い切るくせに、SNSなどの出所のわからない情報に対しては、そういう警戒心が一切なく、自分の気に入った情報はすぐに信じてしまう。
まぁ、典型的な陰謀論者であり、イタイ人なのである。
義理の兄は「国が用意した制度なんて信用できない」という理由で、NISAやiDeCoをハナから否定しているし、年金自体も払っていない。
いや、別にやりたくなければNISAなんてやらなくていいし、年金だって払いたくなければ払わなくても良いと思う。そこは個人の自由である。しかし、彼がそれらを否定する理由として「国がやってることだから」としか言わないことに疑問を持つのだ。決して彼は、今の収入や未来の収入、同じく今と未来の支出や諸々のライフイベントでのお金の動きを加味して、それらを試算したわけではない。ただただ、「国のやってることだから」というだけでそれらを否定するのだ。
これは思考停止の最たるモノだと思う。
そんなわけで、義理の兄とは一切ウマが合わず彼とは距離を置いているのだが、別に義理の兄をここでこき下ろしたいわけではない。
自分の身の回りには結構こういう人が多い、ということだ。
別に僕は国やマスコミの言うことを信用しているわけではない。ただ、国やマスコミが言うこととSNSやネットニュースで書かれていることと、信用度という意味では大きく変わらないと思っているだけだ。
重要なのは、その時々でどの情報を選択するのか。そして、その選択に自分が責任を取れるのか、ということである。
自分が選択に責任を持てないのであれば選ぶこともしない、というのも、情報に対する責任だと思う。
世の中の情報は、しばしば「真実なのか嘘なのか」という二項対立で語られることが多い。しかし、ほとんどの情報は「100%真実」または「100%嘘」の2つに分けることは不可能だと思う。
全てのことは、真実と嘘がグラデーションのように存在している。真実か嘘かを見分けることは、ほぼ不可能だと言えるし、そこに労力をかけるのは時間が惜しい。
結局のところ、僕らは物事に対して「選択」することしか出来ない。
そして、その選択を誤っていたときに自分はどうすればよいのか、自分はどの程度の損失まで耐えられるのか、というところまでシミュレーションすることに労力を使った方が有益だと僕は考える。
何が真実で何が嘘なのか、そこを気にしすぎると泥沼にハマる。かといって、先述の義理の兄のように安易な尺度で嘘と真実を切り分けるのも危険である。
今の自分の状況から、どの情報を選択して行動するのか。それを俯瞰的に考えるのが、賢い、は言い過ぎだとしても、まだマトモな生活が送れるのではないか、と僕は思う。
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