日本の大学の国際的評価は低い?
国際的評価とは?
国際的評価は、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)やクアクアレリ・シモンズ(QS)などの、大学から独立した第三者の機関で様々な指標を元に行われています。
論文の生産数や他の論文に引用される引用数から始まり、研究設備の充実度や教育にどれだけ資源を使っているかなどの表面的に見える事はもちろん、具体的な学生や教職員の満足感などのインタビューまでもが指標とされます。評価する機関によって指標に若干違いがあるので、評価の順位もそれぞれで違いが出ます。
日本の大学は評価が低い?
QSの最新の評価が発表されました。
さすがに欧米の大学が多いですが、10位以下には中華圏の大学が多く入っています。日本勢は23位に東京大学が、33位に京都大学、56位に東京工業大学、75位に大阪大学、82位に東北大学が入っています。100位以内ははこの5校だけです。近年はアジアでの研究教育の中心は中華圏に移動して、日本の地盤低下が著しく目立ちます。
なぜ日本の指標が低いのでしょうか。
原因の一つは国が学術研究への予算を削って来た事にあります。日本の研究教育は公的資金が主体で、民間の寄付などの資金も多い、欧米の大学と基本構造が違っています。その状況下で、20世紀の終わり頃から、緊縮財政の影響で公的資金の投入が横這いの傾向が続いていました。加えて、国立大学が実質民営化された事で、地方の大学を中心に大学の運営資金が細って、基礎研究などの分野の縮小が進んでいます。近年は流石にまずいと思ったのか、公的資金の投入が微増していますが。
もう一つの原因は、中国の科学技術分野への台頭です。日本の科学技術の停滞が始まった20世紀の終わり頃から、中国は逆に科学技術分野に大量の資金を国家プロジェクトとして投入してきました。その結果、中国の大学では理系を中心に研究教育が発展して、欧米の大学と肩を並べる業績を上げる様になったのです。
結果として、中国の大学が相対的に順位を上げ、日本の大学が自滅していったと思われます。
元々この指標自体がが欧米圏の大学に有利になりがちで、独自の文化圏を持つ中国や日本は不利ですが、それでも、10位圏内に肉迫する中国の大学の勢いに、現状として日本勢は取り残されつつあります。
評価を上げる必要性はあるか?
日本の大学はトップの東京大学ですら23位ですから、国全体の大学の評価が、先進国と云われながらも低い事になっちゃってます。確かに英語が母国語でなく、独自の文化圏を持っているのが災いしているのかなとは思います。だからといって、闇雲に順位を上げる必要があるでしょうか?
国際評価で上位にある国内の大学の多くが、医療系や理工・生命系などの所謂理系分野が強い大学で、これらの大学で生産される研究論文は英文が基本です。政策的にこの分野に、近年資金が集中的に投入されている影響から、英文が必須であるのだと理解できます。実際、日本で生産される研究論文は、必ずしも全てが英文ではなく、導入のみ英文のものも多くあります。海外で引用されにくいのは当然です。そのハンディキャップがあった上での順位ですから、先ずは健闘している方かと思います。
中国では英語の論文を国策として大量に生産して、自国の優位性を世界に宣伝している面もあるので、どんどん数値が上がって当然です。中国の大学は、そもそも中国共産党の指導の下の学問の自由なので、その意向に沿えば、研究環境が保証されるので良質の論文が生産されるのでしょう。
日本も、自由民主党の指導の下での学問の自由であれば、研究環境が保証されて良質の論文が生産されるでしょう。(笑)
まあ、そんな国とアジアで競争しているので、少なくとも、まだ中国よりは学問の自律的な自由が保証されている日本は、低い順位にそれほど悲観する必要はないかと思います。
順位よりも本質的な議論を
選択と集中も必要かもしれませんが、本来はトップクラスの大学が独立して少数ある状態よりは、競争力のある大学が多数存在して、連携して全体で国力を上げていく方が望ましい国の在り方かと思います。失われた30年のツケが今の状況ですから、長い目で見て、徐々に全体の底上げが出来る様な科学技術政策がなされれば、自ずと順位は上がってくるでしょう。
学術研究の向上が目的であって、順位を上げる事自体が目的ではないので、結果が目的になる様な拙速な政策形成がなされない事を求めて行きたいと思います。