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戦後の混乱期の大学進学その2
ある青年の物語(九州大学の場合)
戦後の混乱期の大学進学で制度に翻弄された人について、今回は、九州大学との関連で紹介したいと思っています。
この実例に上げる方は私の叔父の知人で、医師となった人です。
この方は、旧制九州大学医学部を卒業されて、公立病院に長く務められ、叔父などの手術の執刀をしていただいた方です。
卒業は九州大学ですが、入学時は旧制福岡県立医学歯学専門学校という学校に入学したそうです。おそらく昭和18〜20年頃に入学したと思われます。この学校は、現在の福岡県公立大学法人九州歯科大学の前身校になります。
旧制福岡県立医学歯学専門学校は、戦中の医師不足に対応するために、全国で増設された国公立の旧制医学専門学校(新八医大と呼ばれる弘前、群馬、東京科学、信州、鳥取、広島、徳島、鹿児島の各大学の医学部など)の一つで、元々歯学医学専門学校(歯科医師養成の学校)だった学校に、公立病院を合併して県立医学歯学専門学校(医師と歯科医師の養成の学校)とした学校でした。
しかし、医学科については終戦直後に一期生を卒業させただけで、戦後はGHQによる全国の医科歯科教育に関する視察の結果、医学科と歯学科共に教学面での不足を指摘されました。
当時の福岡県には、それを双方とも充足するだけの余力がなかったために、歯科医師養成のみに注力することになり、歯学科だけの歯科医学専門学校に再度戻されました。
史実上、多くの旧制医学専門学校は旧制のまま旧制医科大学に昇格していますが、福岡県の場合は歯学科だけとなったために、他の旧制歯学専門学校と同様に、直接新制歯科大学へ移行しています。
GHQは、存続を認められなかった医学科の在学生の進路を考慮して、県立旧制高等学校の時限措置としての設置を認め、医学科の在学生は旧制専門学校生から旧制高等学校生となり、旧制高等学校理科を卒業し、全国の旧制大学医学部へと散っていったのでした。
この方は、学生の時に戦後の激動に飲まれて、医師になれるかどうかという不安にかられながらも旧制高等学校を卒業して、努力の甲斐があって旧制九州大学医学部に入学されたのでしょう。
卒業後に外科医として活躍されたことから、旧制高等学校の教育に、手先の器用さが肝心な歯科医師としての素養の教育が生かされていたとすれば、非常に興味深いものがあります。
前回と今回は、身近な人物について述べてきました。次回は著名人の方々について見てみたいと思います。
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