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国公立大学の法人化について

 国立大学が国立大学法人になって20年以上経ちました。公立大学についても(地方)公立大学法人化が進み、現在では、ほとんどの国公立大学が法人化されました。果たして、法人化は大学にとって良いことだったのでしょうか?
 ここでは、地方のテレビ番組で取り上げられた、とある公立大学を例に、その功罪について考えてみたいと思います。


1.公立大学の(地方)公立大学法人化

 その大学も、他の公立大学に合わせるかのように、公立大学法人化を進めました。
 当初は、教職員の非公務員化や法人としての意思決定機関の理事会設置、中期目標の設定など、どこの法人でも行われた組織への改廃が行われただけで、それ以上は特に変わりなく法人化されました。大抵の公立大学はここから中期目標として大学の整備を、学内の様々な意見を尊重して進めていくことになります。ただ、その大学だけはそこからおかしな動きが起こり始めるのです。

2.市による法人の恣意化

 まず始まったのは、市長推薦の教員のゴリ押し採用という大学運営への介入でした。
 他大学に所属していた教員を教授として招聘するのを、教授会等のの議決を経ずに理事会の一存で決めたのです。その頃の理事会は、市長の息のかかった人物が半数を占めるようになり、市長が薦めた教員が採用される素地が出来上がっていたのです。
 教授会の反対も虚しく、その教授は採用されます。その上、採用された後に副学長と理事に選任されます。市長の暴走はこの事態からさらに続きます。
 学内の規定を市の都合の良い方向に変えた上で、総合大学化を目指すことになります。教授会は有名無実化して、教職員の遥か上の段階で、総合大学化が進められます。先の市長推薦の教授は、いつのまにか学長となり、市長と共謀して、大学を総合大学化するとの掛け声で、大学内部を恣意的に改変させていきました。
 その結果として、反発した教員が大量流出する事態となり、元々単科大学であったことから、少ない教員で運営されていた大学が大混乱を来し、その補充に困り、自治体OBが特命教授に任命されるほど、困窮を極めています。
 単科大学から総合大学化は確かに進みましたが、かなり無理のある拡張で、学内では更なる教員の流出と学内の混乱が広がるのではないかという雰囲気を醸し出したところで番組は終わっています。
 地方ローカル番組だったので、もっと深いツッコミはなされていなかったのですが、後味の悪い話でした。
 全国の国公立大学が法人化されて以降、この手の話は次々と湧いています。リーダーシップと独裁を履き違えたトップや、国や自治体の露骨な関与など、果たして法人化が良かったのかどうか悩むところです。

3.法人化の功罪

 国立大学の法人化以降、公立大学も同様に地方公立大学法人化を進めていますが、設立自治体も大学運営費を間接的に国費に頼っていて、国立大学の様に、徐々に大学としての体力を奪われていく気がしてなりません。
 大都市の財政に余裕のある公立大学と、その他の地方の公立大学で研究教育の環境の格差が広がって、少子化も相まって、将来的には閉鎖に追い込まれる公立大学も現れる可能性も否定できません。
 新自由主義的な政策の一環として行われた国公立大学の法人化が、国富とも言える知の財産を偏在や散逸させてしまったのは、法人化によって、個々の大学が独立性を付与されたという功以上に、社会全体への間接的なダメージという罪を与えたのではないでしょうか?
 この問題については、また議論していきたいと思っています。


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たこま
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