2-22 学芸大学らしさとは
東京学芸大学に在学中に感じたことなどを綴っています。
前回は
丁度3年生になった年でした。それまで意外と緩かった教員になるべきという同調圧力が、大学存続の為に行われた昭和63年度入学生からの教育系(教員養成を目的とする課程系)と教養系(教員養成を目的としない課程系)の分離によって、教育系で強化されました。
私の様に、いろいろな進路を選ぶ事を、それほど異端視しない多様性を好んでいた学生にとって、居心地が悪くなって来たのを覚えています。
よく教養系の後輩に、教員が絶対的な志望でなくなりつつあった私などは、教養系の先駆者は自分達だと豪語?して、教育系の学生とも交流を持つ様に勧めました。
それは、入学時に教育系と教養系を最初から分離する事で、教員養成の場に入った学生に、多様性の中で教職を相対的に考える場を与えず、視野の狭い教員を生んでしまうのではないかという危機感があったからだと思います。
先日、大学の50周年史のデジタルブックを入手し、当時から最近までの大学の動きを追ってみました。この件の詳細については次回に述べます。
大学創設から50年の間、制度の動きに翻弄されながらも、絶え間なく努力された教員の方々には敬意を表します。ただ、近年の状況を推測すると、教員養成に過度にフォーカスしすぎて、大学のダイナミズムが失われて、より良い教養を持った教員を養成する「教育大学」ではない「学芸大学」らしさが失われてきているのではないかと心配しています。
あえて「学芸大学」である必要性を失いつつある現状に危惧を感じ、もう一度「学芸大学」らしさとはなにか、このnoteを通じて訴えられればと思います。
次回は
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