頭の中のよしなしごと
みなさんこんにちは。気がつけばnoteを投稿しないまま4ヶ月が経とうとしていました。大学のテストに追われていたり、サークル活動や外部の活動で奔走していたりと忙しくしていたらすっかりnoteの存在を忘れてしまっていました。まあハナから自己満足で始めたことなので気が向いたらでええやんと思っていましたが。
さて、実は僕、某流行病に感染してしまい自宅隔離中です。これといって特にすることもないのでこの期間で考えたことについて書き殴ろうかなと思います。今回は人に伝えることを目的としていないのでいつもに増して読みにくい文章になるだろうと思いますがご容赦ください。
用意された壁を乗り越える?
みなさんは自分が何のために勉強をしているのか、あるいは何のために働いているのかについて考えたことがあるでしょうか。「そんなこと考えていたらしんどくなるだけじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、何か意味のある目標に向かって勉強なり仕事なりを頑張るというのはとても大事なことなのではないかと思います。「何のために頑張っているのか」という問いを立てたときに、僕であれば「まあたぶん自分のため」という答えを出します。いい大学に入ったのも自分のためだし、サークル活動を頑張っているのも自分が楽しいことだから。たいていの人も僕と同じで、自分のため(あるいは家族のため)と答えるのではないでしょうか。
先日、サークルの元同期と会う機会があり、自分たちが最近頑張っていることについて話していました。「○○は最近何してるの?」と聞かれたので、自分が大学の勉強に特に力を入れていること、ゼミで頑張っていることなどを話しました。すると彼が、「何のために頑張っているの?将来についてどう考えているの?」と聞いてきました。何のために、、?僕は言葉に詰まってしまいました。思えば自分は用意された課題や困難をただ乗り越えているだけで、自分が何のために頑張っているのか、将来自分はどうありたいのかについては深く考えていませんでした。用意された壁を何も考えずにただ乗り越えるだけ。そこには「これだけ頑張っていれば将来何とかなるだろう」という漠然とした考えがあったようにも思えます。僕が何も答えられずにいると、彼は話し始めました。
才能には責任が伴う
「君みたいに頭がいいやつは思考力はあるけど、それをどう使うのか、そして何を成すのかについては全く考えられていないよね、行動力が伴っていないというか。」僕は何を言われているのかあまり理解できず、そのときは何も言い返すことができませんでしたが、そのまま彼はこう続けました。「勉強ができるやつってさ、頭がキレるし才能があるからたいていのことは努力したらできるようになるんよね。選ばれたものの素質っていうか。でも僕はそれを自分のためだけに使うべきではないと思うんよ。才能に恵まれとるやつはそれを社会に還元せんといけんのやと思う。そんでそのためにはただ考えるだけじゃなくて行動せんといけんと思う。」僕は正直あまりピンとこずに「なるほど」としか思いませんでしたが、彼と別れた後にしばらく1人で考えていました。
僕なりのノブレス・オブリージュ
自分が今まで大学の勉強を頑張ってきたのは何のためだろうか?その答えをいざ出そうとすると、「勉強を頑張ってさえいれば将来いい暮らしができる」といった自分の中の漠然とした前提が崩れそうで目を背けたくなりました。そして彼の、「社会に還元しないといけない」という言葉がどうしても僕の頭の中にこびりつき、違和感となって渦巻いていました。どうして還元しないといけないのか。自分には才能があるから、それを自分のために使えばいい。自分のためにお金を稼いで、自分が望むままの生活をすればいい。しかしそんな中でふと思い立ちました。仮に勉強を頑張っていたことがたまたま報われて、仕事で成功したらどんな気持ちになるだろう。お金がたくさんあって贅沢な暮らしをしていたとして、何を感じるだろう。そこには本当の幸せはあるのだろうか。物質的な豊かさは保証されたとしても、精神的豊かさはあるのだろうか。このとき、僕の中の大きな前提は揺らいでいました。勉強を頑張るのはお金のため?お金と自分の幸せは結びつくのか、、?そして僕は一つの結論に至りました。両方実現すればいいではないかと。
今までの自分は、「勉強を頑張ることが良い暮らしにつながる」という自分でも意識していないような前提に従って努力し続けていました。学歴社会の日本においては、まあおそらく部分的には正しいのではないかと思います。しかし重要なのはそこではなく、漠然とした目標に向かって努力をするよりも、自分が将来幸せを感じるためにはどのようなことをすればいいのか、そんなことを少しでも考えながら頑張ることが大事なのではないでしょうか。同期の彼が言っていたように、自分に与えられた才能や環境に感謝して、それを社会に還元するということはとても大事です。しかし自分の身を削ってまで、それを実践する必要はありません。「社会に還元しなければならない」といった使命感に縛られる必要はありません。自分の幸せを優先すればいいのです。ただ、周りの人に迷惑をかけて得られる幸せというのは本当の幸せではないでしょう。自分の利益を追求しすぎて、他の人に損害を与えるというのは自分の幸せに含まれていないと思います。では、そんな自分の幸せを得るためにはどうすればいいのか、それは人に喜ばれることをしながらお金を稼ぐということです。物質的豊かさと精神的豊かさを両立させるためには、他の人のためになるようなことをしつつお金を稼ぐということが必要になってきます。仕事に対して充実感を感じながらお金を稼ぐ。これが、今の僕が考える理想状態です。何を当たり前のことを言っているんだと思われるでしょうが、これが一番大切なのではないかと思います。これが僕の考えるノブレス・オブリージュです。そして、この理想状態の実現のために僕がやらなければならないこと、それは自分がどのような分野で活躍できるだろうか、どんなことが向いているだろうか、ということを考えながら目の前のことを必死に頑張ることです。最初と変わっていないようにも聞こえますが、「無思考で頑張る」のとは大きな差があります。
同期の彼のおかげで、自分の中でつっかえていたものとしっかり向き合うことができました。僕は人間なので、この先々でモチベーションには波が出てくるとは思いますが、今回考えたことを軸にすえながら大学での勉強もサークル活動も頑張りたいと思います。そんなこんなで久しぶりにしっかり考えた隔離期間でした。しばらくはこのまま安静にしておきます笑