人生はマラソン?なわけないじゃん
滝川沙希です。
人生マラソン説に異論を唱えます。
※個人の感想です。
マラソン説の由来
誰が唱えたかは知りません。オランダには、「人生はマラソンだ」という映画があるそうで、観てないから内容は知りませんが、そこそこヒットしたそうで日本でも観ることができたようです。
日本では中高年の、おじさま達が唱えるような印象があります。マラソンのように出世街道を抜きつ抜かれつして、ゼイゼイになりながら本日も走っているのでしょうか。
会社のことしか念頭にない
会社のことしか考えないのであれば構いませんが、家庭はないのか?趣味はないのか?疑問があります。
そもそも言葉の定義がないので検討する術がないし、説得力は話者の権威しかありません。つまり、年長者が年少者に飲み屋で話すくらいの次元でしょう。
偏見ですが、あまりもてなさそうです。
仕事しかしない人生であれば構いません。それも立派な人生です。私などが否定することではありません。
しかし、この事実をご存知でしょうか。
第1子に恵まれたときに、育児をしない夫婦間では熟年離婚率が高いということを(たとえば、渥美由喜『長いものに巻かれるな! 苦労を楽しみに変える働き方』)
会社人間の行く末は、ゴールではなく、孤独死なのかもしれません。
会社に限っても走りたくないです
マラソンでは42.195kmですね。近年定年が延長されています。42kmだと思って走っていたのに、ゴールが50kmになりましたというのは、まったくペース配分が狂います。
そういえば、日産自動車事件という憲法で勉強する判例では、女性の定年が55歳!でした。いま、どこの会社に55歳なんてあります?
若い方にはピンと来ないでしょうが、年金の受給年齢も引き上げられております。要は年老いても、働かねばならないのです。これは深刻です。
ひとつ例を出しましょう。
2020年は司法試験の受験日が延長になりましたが、試験日が未定のまま受験勉強をするとか、私であれば頭がおかしくなりそうです。
しかし、リアルの人生では、これと同じことが起きています。
じゃあどうする
そこで、私は走るのではなく、歩くことを考えています。
競歩のように早く歩くのでもありません。
散歩のように、歩く。
そうでないと、人生100年時代に最後まで持ちません。走り続けて100歳まで行くぞという方のお邪魔はしませんので、どうぞお先に。
しかし、私は決して歩むのを辞めませんので、途中で追いつかれても知りませんよ。
まとめ
主観的に快適でないと続かない。