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縄文土器インターネット学習ガイド(4)「縄文文化と火焔土器」

このシリーズの記事では、縄文土器に関するインターネット上のお勧め学習リソースをご紹介しています。これまでの記事はこちらです。

新潟の火炎土器は、縄文土器の中でもとりわけ大きな存在です。私が土器マニアになったきっかけは、数年前の茨城県立歴史館の特別展「Jomon Period」でした。そこに出展された国宝の火焔型土器は、展示スペースも別格の扱いで、縄文土器の王様のように見えました。その後さまざまな土器と出会ってからも、火炎土器はなにかと気にかかる土器で、note記事でもこれまで何度か言及しています。
今回の教材は、そんな火炎土器をテーマとする、縄文楽検定テキスト「縄文文化と火焔土器」です。

「縄文楽検定」とは、新潟で2008年から毎年開催されている、縄文文化と火焔型土器をテーマにした検定です。信濃川流域の自治体が構成する信濃川火焔街道連携協議会が主催しています。下記のサイトから各種テキストや最近数年間の問題集と解答集がダウンロードできます。

「縄文楽検定」- 火炎土器の王国、新潟

〔テキスト「縄文文化と火焔土器」の内容〕
Ⅰ 信濃川流域の縄文文化
 ①縄文時代の信濃川流域の遺跡
 ②信濃川流域の火炎土器文化
Ⅱ 火焔土器の発見
 ①火焔土器と近藤家の人びと
 ②「火焔土器」研究のあゆみ
Ⅲ 火焔土器の仲間とその特色
 ①火焔型土器のかたち
 ②火焔型土器と王冠型土器
 ③火焔型土器の分布
 ④火焔型土器の機能と用途
 ⑤火焔型土器のライフヒストリー
 ⑥火焔型土器の年代
 ⑦火焔型土器に伴うその他の遺物
 ⑧火焔土器ギネスー点数と大きさー
Ⅳ 火焔土器散歩
 ①津南町の火焔土器散歩
 ②十日町市の火焔土器散歩
 ③長岡市の火焔土器散歩

本テキストは、上記のリストのように「火炎土器のすべて」とでも言うべき内容です。火炎土器の王国、新潟ならではの強火を感じさせます。特に第Ⅲ章の「火焔土器の仲間とその特色」には、火焔型土器と王冠型土器の非常に詳細な情報が提供されています。たった一つの類型に関して一般向けの資料でここまで細かく解説されている例は、他の地域の縄文土器では見たことがありません。これから火炎土器を見る機会のある方には、ぜひこのテキストでの予習をお勧めしたいと思います。
(ただし、第Ⅳ章の「火焔土器散歩」は、長岡市に馬高縄文館が開館する以前であるなど、やや情報が古くなっています。信濃川火焔街道ガイドブックなど、これ以外の縄文楽検定テキストもご参照ください。)

新潟の縄文土器の素顔

さて、下の画像リンクは新潟県津南町にある道尻手どうじって遺跡の発掘調査報告書・写真図版編です。リンク先のPDFファイルの16~54ページ(図版14~52)をご覧ください。

道尻手遺跡は、テキスト「縄文文化と火焔土器」で、火炎土器が多数出土した遺跡の一つとして紹介されています。また、寸法が最も大きな火焔型土器と王冠型土器が出土した遺跡でもあります。ご覧頂いたのは、この遺跡から発掘された、完形に近い土器のすべてです。

つまりこれは、火炎土器前後の時代に火炎土器が栄えていた場所で使われた縄文土器の、生の姿に近いものです。様々な形の土器が混然一体となる中に、火炎土器も入り混じっています。また、火炎土器のような、そうでないような中間的な土器もたくさんあります。火炎土器が独立して純粋培養的に発達したのではなくて、ほかの多くの土器から影響を受けながら変化していった様子が想像されます。

テキスト「縄文文化と火焔土器」の第Ⅱ章「火焔土器の発見」にあるように、火炎土器というカテゴリーは、発掘された多くの土器の中から現代人の感性に基づいて恣意的にピックアップされたものである点にも注意すべきです。その後何十年も続くプロモーションの結果として現在の火炎土器のポジションがあります。それが縄文人の社会でもそうであったのか、すなわち当時も新潟の多様な土器群の頂点に君臨する特別な土器であったのかについては、疑問の余地もあると思います。テキストの「火焔型土器のライフヒストリー」の最後に述べられた火炎土器の廃棄方法は、特にそれを感じさせるものです。

火炎土器を含め、新潟の縄文土器についての理解を深めるには、火炎土器のみに注目するだけでは十分とは言えません。そういう観点から、火炎土器以外のその他大勢の土器について概略をまとめたnote記事がありますので、この機会に併せてご覧頂ければ幸いです。

縄文楽検定テキスト等を公開頂いている、信濃川火焔街道連携協議会の皆様に深く感謝いたします。
最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

#縄文時代 #縄文土器 #縄文文化 #火焔土器 #考古学 #信濃川火焔街道連携協議会 #縄文楽検定

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