柄シャツ以降
このままだと柄シャツを着ない人生になる。文学フリマ東京38を翌々日に控えた夜のこと、両者柄シャツを身に纏ったチコカリートと呂布カルマがMCバトルしている動画をYouTubeで見ながら、そういえば自分は柄シャツを着たことがないなと思った。なぜその日だったのかはわからない。呂布カルマのMCバトルなぞ云百回と見てきたはずなのに(呂布カルマはよく柄シャツを着ている)、なぜこの日思ったのか。思い付きは、唐突。きっかけに導かれて、理由なく形作られるもの。文フリに似合う服は何かと考えているときにそうだサブカル感を出すために柄シャツだ、というのならわからんこともないのだが、そんなことはなくむしろセットアップで行く気満々だった。「ピシッとしてた方が本は売れるのでは?」と思っていた。営業マンすぎる。結果、柄シャツという最適解を唐突に思いついてしまったので、柄シャツを羽織っていったわけだが。何故最適解なのかの検証は、もちろん行わずに。
翌日、3年ぶりに古着屋で服を買うぞ、という決意のもと高円寺へ。柄シャツといえば古着、のイメージがあった。セレクトショップが秩序良く整えた柄よりも、どこの国のなんの柄やねん、という謎柄をわたしは欲していた。高円寺の古着屋に行けばすぐに運命の一着に出会えるだろうと高を括っていたのだが、思いのほか苦戦。「ハワイ過ぎる」のだ。あまりに「ハワイ過ぎる」と心の中でつぶやいてしまうので、わたしがこれまで柄シャツを着てこなかった理由は「ハワイ過ぎるから」だったのかもしれないとさえ思った。柄シャツ=アロハシャツでないことはわかっているし、目の前にあるそれらがアロハシャツではないこともわかっているのだけれど普段着にするにはあまりに陽気で、アロハシャツを着るにはわたしはまだまだ陰気だった。陰気だけど、柄シャツは着ていいはず。京都にいる友人の、彼なりに選び抜いた柄シャツを思い出す、が一体何の柄だったか思い出せない。「これな、○○やねん」というところだけ浮かぶ。テストのときみたいだ。
ハワイ過ぎるものや、ハワイ過ぎずとも秩序のある柄シャツばかり、という感じで、「この歳になって柄シャツデビューするのに、今更よくあるのを買ったとて…」と思いペンディング、ペンディング、ペンディング。繰り返し繰り返ししていて気が付いたら4軒目。でも不動産屋と違って古着屋は回れば回るだけ古着があるわけなので諦めるわけには、いかない。高円寺で出会えなければ下北沢まで戻って手にいればいい、そのために、引っ越したんだろう?本当にそうかな?あわわと入った4件目で、出会ったのだった。
運命に、認定。自分の思う柄シャツがそこにあった。水彩画で描かれた街の柄シャツ。それを街と捉えるかは人によるかもしれないけれど、わたしは家々が並んでいるならばそれを街だと思うから。これを着たら街を丸ごと羽織ることになるのね、とかそれってシティボーイってことで良いかな、とかまあ文フリで目立つ服着てるから売れることはあっても売れないってことはないだろ、とか考えたのはお会計の後だった。直感は、速い。思考は、遅い。説明できないほど美しい、ではなく説明できないことによってもたらされる美しさ、という直感由来の美しさを愛したい。その美しさにかまけてわからないままでいたい気持ちと裏腹に、思考により得られる美しさがわたしは好きで好きでたまらない。言葉にできたら腑に落ちて、その時間や空間がもっと愛おしくなることを知っているからやっぱり言葉にしたい。ままならない。どっちつかず。でも矛盾という言葉だけで片付けたくない、そのあわいにたゆたう。素材が軽いからなのか、イソップ?と思うほど小さな紙袋にそのシャツは入れられ、それを手に小杉湯へ向かった。
あわいにたゆたっていたのだけど、いざ文フリ当日、急遽洗って干したそのシャツを着てみるとサイコー!人生、まだ始められることがあるんかとワクワクしながら流通センターに向かっているわたしが抱いていた高揚感は、柄シャツを着たことによるのか文学フリマによるのかどちらかもうその時はどうでもよかった。浜松町からモノレールに乗って、東京タワーをぐるっと回った先にはわたしの大好きな首都高速道路が見え、何度も仕事で走ったそこはよその街でもなんでもなく、2年前に初めて文学フリマ東京に行ったときに見えていた景色とは違うものが目の前に広がっていた。もう直感のことも説明のこともすっかり忘れていた。ただそこには柄シャツ以降の自分がいた。
文学フリマ東京の会場である流通センターへ向かうモノレールで見たこれが、柄シャツ以降のわたしが最初に目にしたシーン。以降、シーンは重なっていく。半年前に「日記をつけるワークショップ」に参加した。そのほとんどの参加者で交換日記の本を作り上げ、それをこの日初めて売った。仕事を辞めてから苦しんだ半年に、一緒に日々を記録する形で寄り添ってくれた、みんなとつながったきっかけである日記をもとにしたわたしたちの本がどしどしどしどしと売れていく。そのさまをブースに立って(座って)見たこと。打ち上げのあと、みんなで見た東京タワー、もう一人のものじゃないね。東京タワーのふもとで側転しまくるWさん、つられて側転するDさんを制止するKさん、金麦を持ったまま電車に乗っちゃったSさん、かたや黒ラベルを預けたRさん。みんなの行動の理由が、わかる。日記読んでるし。知り合ってほんとうにちょうど半年、な人と15人で本を作った。創作の喜びはもちろんだけど、年も暮らしも全く違う15人で青春をやれたことが何よりうれしい。
以降、といざ区切ってしまえば、またそのあとのシーンが降り積もるだけ。あの瞬間は間違いなく青春、とすでに大人になったわたしたちはお互い確かめあいつつ、この時間をどこにもいかせないようにギュッと凝縮して大切にとっておく。それを背負ったここからの人生は、柄シャツ以降!
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