37・河口慧海(かわぐちえかい)のチベット旅行記
河口慧海(かわぐちえかい)のチベット旅行記を読んだ。
彼は明治時代のお坊さんで、仏教の中国語の経典の解釈がいろいろ違っているので真実を知りたいと思い、インドのサンスクリット語で書かれた原典が存在しているチベットへ行こうと決心した。一切衆生を救うためである。
明治時代、鎖国のチベットへ出かけるなんて不可能としか考えられないが、彼はチベット語やネパール語やサンスクリット語を習い さらに俗語も覚え、地理その他も周到に準備して行く。
本人は探検家ではないと言うが、探検家としても超一流だ。
ただ、お金に関しては、泥棒に前部くれてやったり、宗教家だからこそのおおらかさである。なのに、不思議とお金に困らない。
まさに最澄の「道心のなかに衣食あり」(仏の道を求める人は、衣食に困らない)の言葉どおりじゃないの。
その苦労たるや超人的で、氷の川を渡るなどの寒さや、飢え、のどの渇きなどに苦しみ、また鎖国を犯して行くため、右へ行くつもりをわざと左に進んで自分の行く道を人に悟られないようにしたり、とにかく困難の連続。
しかも、彼は一日一食、午後になったらとにかく食物を取らないのだ。
食物は精進料理。寒さの厳しいチベットでは肉が欠かせないようだが、肉も一切食べない。
彼は いろんな人の助けもあり、仏教を学び原典を持ち帰るのだが、鎖国の国は入るのも大変だが、出るのはさらに困難だ。よく捕まらなかったよ。
冒険旅行を読むような面白さで、一気に読んだ。
昔から、玄奘三蔵のように、原典を求めてヒマラヤや砂漠を超えてインドに行く人はいた。すごいよなぁ。
そのおかげで、私たちは仏教を知ることができるのだが。
「はぁ~」とか「ひぇ~」という言葉しか出てこない「チベット旅行記」だった。