東の風が吹き抜けた冬の頃
その風は、冬のそれではなかった。
肌寒い春の日、窓際の暖かな光、その真ん中で微睡む。髪を撫でるそよ風。
いや、暴風。
2020年。12月。冬が加速していく頃。
中旬に向かって、広島市内、といっても私の知る限りというごく一部ではあるが、緊張と諦めが支配していたように思う。連日更新される感染者数は予想だにしない増え方で、市内施設は次々に閉鎖へと向かい、公演・イベントの中止が発表され、何処其処の学校での陽性者は公表されていないのに耳を塞いでも通知される。冬の曇り空の毎日。単純に恐怖であった。
それでもなんとか幕を開けた公演は、いちファンとして、いちスタッフとして、という贔屓目を差し引いても、網膜と胸に刺さった。
非日常の幕が上がるという日常が遠い世界になってしまったこの年、制約と正解の見えない状況の中で手繰り寄せた本番。
音響席から観たステージは、神々しく儚く美しい。そして、圧倒。
誰かが手を上げる。その手に、否定や疑問をぶつける。逆に、覚悟や姿勢を褒め称える。そんなことは至極簡単で労力の要らない事だというのに、そちらを向けば直ぐに揺らいでしまうのに、それでも私は誰かからの是非に一喜一憂する。してしまう。
そんなことが全て馬鹿らしいと頬を平手打ちされた。座長を信じ、仲間を信じ、切磋琢磨し、力を合わせ一つの作品を作るなんて、きらきらとしてむず痒いフィクションの言葉を、全て全力で肯定する。芝居という表現をしなければ生きていけない大人達が、社会を生きながら日常を脱いで演じ歌い踊る、ただ「芝居が好き」という、圧倒。
音響席に用意したタオルは手汗と涙を吸収して、あっという間に臭くなった。魔法と思い遣りの詰まった宝石箱のような東の風は、ただただ優しく、強かった。
劇団・pfa集団【アトリエ/カンパーニュ〜atelier/Campagne】第8回本公演「また、東の風が吹いたなら」を観て。
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