クラッシュ・ワルツでおどる
自身が大学生だった頃東広島に来る機会は皆無で、唯一の記憶は一年生の頃にバスを乗り継ぎ乗り継ぎ広島大学構内へ一度だけ侵入したもの。サークルの行事だったと思う。高速バスに詳しい友人にひっついて、何処をどう歩いたのかさえすっかり霞んでいる。現在では週に一度は訪れている、車さえあれば一足で行ける隣の街。
沢山の交差点を越えて、行く。
ある交差点での信号待ち。私は先頭で停車した。対向車は居ない。後続車も居ない。私一人停車した静かな横断歩道を左から右へ、リュックを背負った少年が歩いている。少年は時々振り返り、横断歩道を渡らず立ち止まったまま手を振る母親らしき女性に、寂しそうな視線を送っていた。
少年の背中が、行きたくないと泣いていた。歩行者信号が点滅する。少しだけ足早になった少年と、優しく背中を押すように手を振る女性。私は進行方向の信号を確認して、彼らを視界から消した。
きっと少年の姿が消えるまで、消えてからも、女性は手を振っていたのだと思う。行ってらっしゃい。ただいま。楽しかった。すげー楽しかった。なんて、行きから想像出来ないくらいの笑顔で、言えていたら良いな。
沢山の人が、交差点を越えて、行く。
四年生か五年生か、一時期学校に通いたくない期間があった。学校に行くことが苦痛、というよりただただ家に籠もっていたい、という気持ちが大きかったと思う。ある朝母が、途中まで送ってくれると言う。しぶしぶランドセルを背負い、小学校までの道を二人で歩く。通学の時間を少し過ぎて、人通りの落ち着いた静かな時間。家から小学校までの中間地点を過ぎた大きな交差点で、じゃあね、頑張ってね、と母の足が止まった。私は何度か振り返りながら、横断歩道を渡る。手を振る母に駆け寄りたい気持ちを殺して、角を曲がる。完全に姿が見えなくなって、どうしてもどうしても帰りたくて、曲がった角から顔を覗かせた。母は、やっぱり、とでも言いたげな笑顔で私に気付いて、手を振ってきた。母は一歩も、動いていなかった。
交差点の時間は、直ぐに消える。
誰かの記憶に、交差点の私は、遺っているのだろうか。
被害者の元夫婦と、加害者の女性と、交差点のそばに住む夫婦の、交差した、交差する、物語。時はまき戻らないし、死んだ者は生き返らないし、重ねた間違いは重みを増すし、後悔は真綿になって首を閉め続ける。交差点のあの時間は一瞬であったというのに、溶けない、積もり続ける雪のような、縋りたいifは、きっと一生存在感を増していく。救いも赦しも立ち入らない、if。
それでも最後の、覚束ないダンスが、そしてあの一言が、雲の隙間から差し込む柔らかい日の光のように心を震えさせたのは、奇跡を錯覚させるほどに眩しかったのは、作り上げた彼彼女らの持っている熱量が、真っ直ぐ未来に向かっていたからだと思う。
この日観た交差点を、私は忘れたくはない。
広島大学演劇団 平成30年度入学生卒業公演
クラッシュ・ワルツ 2022.3.12/13
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