支援者の「権力」を中和/馴致するために
■前回、「ボランティア」=タダ乗り(フリーライダー)という位置づけのゆえに、ぷらっとほーむでは「ボランティア」の採用はしていない、と述べた。そう言えるためには、いくつかの前提や条件がある。第一に、「居場所がない」という、誰にでも起こりうる事態を対人支援サービスの対象に据えていること(支援者-被支援者の「同質性」強調)。第二に、その上で支援者と被支援者を分かつ外形的な基準――例えば「子ども/大人」のような――を設けていないこと。
■違う角度から記述するとこうなる。すなわち、支援者と被支援者の間に、入れ替え不可能な何らかの意味づけが施されてあるなら、こうした支援者-被支援者の「線引き」問題は発生しない。したがって、支援対象者を「不登校の子ども」「ひきこもりの若者」に限定するとか、「支援者/被支援者」の線引きを「大人/子ども」あるいは「主体/客体」といったカテゴリー区分に重ね合わせるとかいうやりかたは、「線引き」問題を回避する有効な方法である。
■そう考えると、私たちが何にこだわっているのかがより明確になる。一言でいえばそれは「入れ替え可能性」である。支援者と被支援者がその属性において「同質的である」ようなカテゴリーを意識的に採用すること――支援対象者を「不登校」「ひきこもり」と具体化せずに「居場所を求める人びと」と抽象化したこと――、支援者/被支援者の線引きの際に、「子ども/大人」のような交換不可能なカテゴリーを慎重に排除すること等は、すべてその発想の延長線上にある。
■そもそも、なぜ「入れ替え可能性」などといったことに拘泥するのか。それはこういうことだ。どのように意味づけしたところで、支援者-被支援者の間には「支援する側」と「される側」、「上下」の関係性、さらに言うなら「権力」関係が発生する。「居場所スタッフ」とその「利用者」という関係においてもそれは決して例外ではない。ならば、そこで必然的に発生してしまう「権力」が、「利用者」を害することがないよう、何らかの対策が求められることになる。
■その「権力」対策には、二つの方向性がある。第一に、「権力」の担い手/受け手の立場を交換可能なものにしておくことで、例えそこで「権力」が発生しても、「お互いさまだから」とその効果を中和できること。第二に、支援者の「専門性」を公式に定義し、その力を限定することで、「権力」を飼い馴らすこと。「入れ替え可能性」は前者に属する戦略だが、私たちには両者にまたがる構想も存在する。「一日スタッフ」制度がそれだ。詳細は次回改めて展開したい。
※『ぷらっとほーむ通信』040号(2006年08月号) 所収