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フェミニズムは実際に分断をどう乗り越えてきたか――荒木菜穂『分断されないフェミニズム ほどほどに、誰かとつながり、生き延びる』(青弓社、2023年)評

フェミニズムとは何か。そう問われれば、もちろん最大公約数的には「女性差別に抗う思想と運動」といった無難な受け答えが可能ではあろうが、より精緻な言語化を試みようとすれば、100人100葉の答えが生まれ出てくるだろう。女性であると一口にいっても、そこには年代や階層、障がいの有無や所属する文化圏、セクシュアリティやエスニシティなど、さまざまな差異が存在し、そのそれぞれに固有のフェミニズムというものが想定されうるからである。

では、そうした分断状況と、当のフェミニズムはこれまでいったいどんなふうに対峙し、その乗り越えを図ってきたのだろうか。また、その試みの結果とはどのようなものだったのだろうか。さまざまな分断に橋を架けるとりくみをフェミニズムは「シスターフッド」と呼び、そのかけがえのなさを称揚してきたが、果たして実際のところ「シスターフッド」は可能なのだろうか。もしそうなのだとして、いかにしてそれは可能となるのだろうか。

こうした問いに応えるべく、本書は、1970年代から2000年代にいたるフェミニズム運動の記録――日本女性学研究会(1977年設立)のニューズレターに掲載された記事――をとりあげ、そこで交わされた人びとの議論を分析・検討していく。著者は女性学を専門とする研究者で、自身のジェンダーにまつわる経験なども交えながら、「分断されないフェミニズム」のありようを粘り強く模索する。

多様性を前提とし、差異が尊重される社会をめざそうとすれば、相互にぶつかりあう個人のあいだの絶え間のない調整が不可欠となる。その面倒さを回避しようとルールや官僚制を導入することは、平場であるところに権力をもちこむふるまいである。それを避けたければ、毎回ゼロベースで調整を引き受けていく粘り強さが欠かせない。フェミニストたちの言説実践から見えてくるのは、そうした実践が引き受けられ、生きられてきた痕跡である。社会運動としてのフェミニズムの達成である。(了)

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