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社会学から見た「居場所」とは?

■先日、日本教育社会学会第59回大会において、「「居場所」に関わる人びとによる「不登校・ひきこもり支援」の社会的構築:支援者のアイデンティティ・ワークに着目して」という題目で、研究発表を行ってきた。心の専門家による心理学的な言説(居場所における受容は心の傷を癒す)でも、東京シューレ系の反学校論的な言説(居場所における試行錯誤は「自由・自治・個の尊重」を保障する)でもなく、社会学的に「居場所」を記述するというのが、私の研究テーマだ。

■社会学的に、と言われてもピンと来ない方が大半だろう。簡単に説明する。先行研究によれば、不登校やひきこもりの人びとは、他人に知られると不都合な自らのアイデンティティ(例えば、不登校/ひきこもりとしてのわたし)が露呈するのを避けるために、相互行為場面において、パッシング(やり過ごし)を行っている。つまり、彼(女)らが苦手としているのは、自らのアイデンティティを隠蔽できないような相互行為場面(例えば、所属を含む自己紹介など)である。

■ここから逆算すれば、「居場所」という「不登校・ひきこもり支援」の空間設計の基本発想はたやすく理解できよう。自らのアイデンティティが露呈してしまうような相互行為場面が苦手な人びとにとってコミュニケーションの敷居が低い空間とは、自らのアイデンティティを曖昧にぼやかしたままでのコミュニケーションが可能な空間ということになる。自分が誰であるかを曖昧にぼかしたまま、とりあえずコミュニケーションを開始できる場、それが「居場所」だ。

■わたしの研究は、この先に関わる。利用者が抱える問題やそれを名指すカテゴリーにあえて触れないという作法(パッシング・ケア)は、まずは「居場所」のスタッフによって体現されている。ではそのスタッフの人びとは、いったいどういうやりかたで、いかなる資源を用いて、このパッシング・ケアを達成しているのであろうか。この問題を考えるため、わたしは三箇所の「居場所」(ぷらほ含む)スタッフ12名への聞き取り調査を実施した。わかったのは次のことだ。

■スタッフは、利用者のアイデンティティを曖昧にぼかすために、自己のアイデンティティを操作・統制している。あるときは自分と利用者との同質性(近さ)を強調することで両者の差異を曖昧にし、またあるときはその異質性(遠さ)を強調することで双方の差異を前景化させる。そうやって自己カテゴリーを操作することで、相手のカテゴリーをも統制し、コミュニケーションしやすい環境を準備するわけだ。これが、社会学の見る「居場所」の風景である。

※『ぷらっとほーむ通信』054号(2007年10月号) 所収

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