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社会運動としてのフェミニズム――ベル・フックス[堀田碧訳]『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(エトセトラブックス、2020年)評
著者のベル・フックスは、南部に生まれ育ったアフリカン・アメリカンで労働者階級出身のフェミニスト。1960年代に隆盛を迎えた合衆国の「第二派フェミニズム」に伴走しながら、それを「白人中産階級女性のフェミニズム」として批判、フェミニズムを人種や階級をこえて「みんなのもの」にするべく、言論活動を展開した。第三派フェミニズムが中心的な主題とするインターセクショナリティ(交差性)の問題をいちはやく提起した一人である。
本書は、そんな著者が1990年代の終わり、フェミニズム運動――とりわけ第二派のそれ――が終息しつつあったアメリカで、これまでの運動が何を達成し、そして何に失敗したのかを真摯にふりかえりつつ、後の世代にバトンを託すような、フェミニズムの入門書である。フェミニズムの軌跡が、「からだ」「美」「暴力」「男/女らしさ」「子育て」「パートナーシップ」「性」「スピリチュアリティ」など19のテーマに即して易しく語られている。日本語版は2003年に新水社から翻訳出版されたが、本書はさらにその20年後の現在、フェミニズム専門の出版社エトセトラブックスが復刊したものである。
彼女の総括によれば、社会にはびこる性差別やそれを支える家父長制の存在を抉り出し、そのもとで苦しむ人びとの覚醒を促した点でその意義は大きかったものの、やがて運動は保守化。人種や階級の力学にからめとられるように、そのなかで扱われる問題が「白人中産階級女性」のそれ――例えば「女性の社会進出」、すなわち、いかに「白人中産階級男性」と同じ待遇を職場で獲得するか――に限定され、そこからはみ出たさまざまな女性たちの経験が周辺化されていくようになる。フェミズムの失速の、これが理由だとも彼女は言う。
とすれば、運動としてのフェミニズムはその使命を終えたわけではなく、未だミッションの途上だということになる。第二派が届けることに失敗したその果実を、どうやって「白人」や「中産階級」以外の人びとのもとに届けるか。同じ問いは、「ポスト・フェミニズム」が語られる2020年代における日本の私たちにとってもアクチュアルなもので、学びの多い一冊だ。とりわけ評者には、本書が描き出す社会運動としてのフェミニズムの風景――さまざまな場所で女性たちが集い、そこでの平場の会話と対話をへて覚醒していく――が興味深く感じられた。取り戻さねばならないのは、そうした場ではないか。(了)