探究の多様なあり方について今思うこと〈エッセイ〉
「探究」に対するもやもや
MIMIGURIでは今年「全員探究」というビジョンが期初に掲げられた。ざっくりいうと、一人ひとりが探究テーマを持って日々のプロジェクトなどの活動を通して探究し、新たな社会的価値につながるような知的資産を生み出していこう、全員で知識創造の循環をつくっていこうという話。私は、この「全員探究」の推進を担う部署である知識創造室のマネージャーをしている。みんなが自分なりに探究し、日々さまざまな知が生まれてくるようになっていくにはどうしたらいいか?試行錯誤している。
とはいえ、知を生み出していくというのは、なかなかハードルが高く感じられるものなのは事実。
最近、探究テーマを明確に言語化して言える人がすごい!自分の実践知を資料にまとめたりしてイベントで発表したり、記事や本を書いたりする人がすごい!みたいに見える風潮に、なんとなく私はもやもやし始めた。なので、今、探究について思うことをエッセイ的に書いてみることにした。
探究テーマを設定することからはじめなくてもいい
MIMIGURIの代表である安斎さんは、これからの時代は探究テーマを設定して仕事でも日常でも活動していくキャリアデザインのあり方がよいという探究論を語っていて、社外でも反響がある。
だけど、そもそも探究テーマを言語化するのは難しいものだと思う。最近の関心キーワードを出すくらいならできなくもないが、探究テーマを設定することから始めなければならないと捉えてしまうと、探究へのハードルが上がってしまう。私だって「探究テーマ何ですか?」と言われると、自信を持って言えない。なんとなくはあるけれど、他者にわかりやすく説明できるものにはなっていないし、日々微妙に変わっていってるようにも感じる。なんとなく自分が今どんなことに関心が向いてるか?がわかっていればそれくらいでいいんじゃないかと思っている。
私は探究をもっと身近なものにしたい。肩肘張らずに気楽にやれるものにしたいと特に最近思っている。「探究とか自分にはハードル高い、できない、できてない」と感じてしまう人にも、「実は自分もちょっとした探究をやってたのかも!?」と思えるようなものになったらいいなと思うし、実際既にみんななにかしら探究はしてると思う。自分で気づいていないだけ。「自分は探究できていないからダメだ..」と思って自己肯定感が下がってしまうのは、すごくもったいないと思う。
自分が普段つい気になってしまうことから興味関心を探り、探究テーマを設定することから探究を始める人ももちろんいるけれど、必ずしも探究テーマを決めることから始める必要もない。探究の始め方は多様にある。これは、MIMIGURI社内でいろんな人と話して実感しているところでもある。
自分なりに試行錯誤して取り組んでいる仕事(会社の仕事以外の活動でもいい)があれば、それも探究活動。
気になることがあってそれを調べたり、本を読んでみたりするインプットも探究の入口になる。
既にやったことをふり返るなかで、自分の探究にあとから気づくことだってある。自分が気になって思わずやってしまっていたことのなかに探究の種が見つかることもある。見つけた探究の種をきっかけに、次に自分が向き合いたくなることは何か?問いを立ててみる。それは次の自分の探究になっていく。
ふり返って自分の探究の種を見つけると言っても、一人でふり返ってもなかなか見つけられない。一緒に活動していた人や、社内の気軽に話せる人、関心領域が近そうな人など、他者にふり返りを聞いてもらいながら一緒にそこでやっていたことの意味を探る対話をしてみるのもいい。自分では気づけないような自分らしさに他者が気づいてくれることもある。
知をアウトプットするタイミング
探究の進み方、実践知をアウトプットする間隔も人それぞれ。
日々のちょっとした発見をSNSやブログに書いて日常的に知をアウトプットしながら探究を進めていく人がいる一方で、今は自分が関わっている活動をやり切ることに集中する期間にして、活動が一区切りしてからふり返って知をアウトプットしていくスタイルがあってる人もいる。ちなみに私は、日々のちょっとした発見は社内slackに書いて、特に印象深かった経験はあとからじっくりふり返ってnoteとか学会、研究会などの機会にアウトプットするスタイルかな。
自分の専門性を活かした仕事の経験をある程度積んできた人なら、既にその仕事の中で探究してきていて、アウトプットできる実践知を持っているはず。そういう人は、これまでの経験をふり返りながら知をアウトプットする機会をつくることで、さらなる探究が駆動しやすくなると思う。
そもそも、何のために探究をするのか?
私の場合は、どうせ毎日仕事するなら、仕事のなかで自分の好奇心を満たせた方が楽しいし、いきいき働けるし、いきいき生きられると思っている。私は会社の仕事のなかに自分がやりたいこと、自分の探究の要素をしれっと入れてやっていることがあるらしい。ときどきまわりからそう言われることがある。自分では無意識だけど、言われてみれば確かにバレないくらいさりげなく自分の探究要素をしれっと入れちゃうのを楽しんでるところはあるのかもしれない。いかにさりげなく仕事の中に探究を入れちゃうか?を面白がっているところはあるのかも。周囲にちょっとしたイタズラを仕掛けるみたいな感覚なのかな。
でも、探究はやってて常に楽しいものでもない。自分のなかでまだわからないことに向き合うわけなので、途中で行き詰まったり、苦労や苦痛を伴うこともある。でもそれを乗り越えた先に、自分では思いもよらなかった新たな発見があったりするから私はそれを期待してやっている気がする。
私の場合は、年に1回学会で自分の探究を発表するノルマを自分に課して探究をしている。1年の活動のなかでどんな探究をしてきたか?特に印象に残る発見や驚きがあった経験をピックアップしながら自分の活動をふり返り、探究からわかったことを学会発表している。探究活動からわかったことを導き出すのは簡単ではない。あーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら、私の探究に関心がありそうな人に壁打ちしてもらいながら毎年学会発表の原稿や発表資料をつくっている。大変ではあるけれど、自分の探究をアウトプットする機会があるから、探究が進んで新たに探究したいことが見えてきたりするのは私にとっては面白いし、やりがいのあることだ。
ちなみに最近の探究アウトプットとしては、「デザインの専門性を活かしたナレッジマネジメントとは何か?」に向き合ってみたものがある。
何か話題提供する機会があれば、何らかの自分の探究アウトプット機会にしてしまおうと考えることも多い。そうやって自分のまわりにある機会をうまく使いながら、自分が気になることを日々探索している。
探究との付き合い方も人それぞれ
これはあくまで私の探究ルーティン。探究との付き合い方は人それぞれ。自分に合う探究との付き合い方、ルーティンを試行錯誤しながら、それこそ探究しながら見つけていければいいと思う。
まわりと比較してしまうと、「探究はこうあらねばならぬ!」という固定観念が無意識のうちに自分のなかにできてしまったりする。それが自分を縛って探究しにくくさせてしまうこともある。探究からわかったことをアウトプットする機会をつくることで自分にプレッシャーをかけながらも、力を入れすぎずマイペースに、自分なりの視点で知をありのままにアウトプットしていく。この力の入れ具合、抜き具合をうまく調整しながら探究に向き合えるといいのかもしれないと最近は感じている。
そもそも「探究」と言うから、小難しいものに感じてしまうんじゃないかなと思ったりもする。私にとって探究は、謎解きゲームみたいなものというのが最近は一番しっくりきている。日々の活動のなかで浮かぶ「これってどういうことだろう?」「これって、なんでこうなんだろう?」のような、ちょっとした素朴疑問に、「あーでもない、こーでもない、こんな感じ?」と思考を巡らせて吟味していく感覚。素朴疑問を持ちながら活動するなかで、意外な驚きがある出来事に直面し、その現象の意味をあれこれ考えていく。謎解きゲーム感覚で探究していくうちに、自分らしさ、アイデンティティもいつの間にか変わっていたりする。私は、そんな自分を面白がっているところもありそうだ。
私の今の探究テーマの1つは、探究のあり方の探究。最近も、MIMIGURI社内で行われているさまざまな探究のあり方を分類整理できないか、試行錯誤している。今後も探究の多様なあり方を、もっといろんな人たちと分かち合いながら、誰もが自分らしく日常のなかで探究していく方法と探究することの意味について探究を続けていきたい。
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