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「暗黙知ハンター」になってみてわかったこと-デザイン活動の省察がもつ可能性の探索#2

こんにちは、MIMIGURIでExperience Designer / Reflection Researcherとして活動している瀧です。MIMIGURIでは、研究機関を主務としてリフレクション関連の研究を担当しているのと、横断組織で社内の知識創造に関わる取り組みをしています。また、コンサルティング事業では新規事業開発系のプロジェクトをいくつか担当しています。そんな感じで今はいろいろやっていますが、私はデザイン活動の省察(「省察」は「ふり返り」「リフレクション」とも言います)がもつ可能性に関心があり、さまざまな実践と研究をしています。1、2年ほど前からMIMIGURI社内でもこのデザイン活動の省察に関する取り組みをやり始め、昨年、その活動についてnoteにも記事を書きました。

今回はその続報として、ここ1年くらいで実施している社内のリフレクション文化づくり知の循環をまわしていくための活動について、私がこの活動に取り組んでいる背景と、やってみてわかってきたことを書いてみようと思います。

ちなみに、この記事はMIMIGURI Advent Calendar 12/23の記事でもあります。6つのキーワードを起点にそれぞれのメンバーが記事を書いています。他の記事はこちらのページにまとまっていますので、ぜひご覧ください。

MIMIGURI Advent Calendar

この記事のテーマは「理論と実践」です。

「知を開いて、巡らせ、結び合わせる。」を実践するために

MIMIGURIには「知を開いて、巡らせ、結び合わせる。」というバリューがあります。これができる組織は理想的だなと思う言葉です。

知識創造の循環のあり方として、SECIモデルを参照しています

ですが、私はこのバリューができた当初から、さまざまなプロジェクトで実践したことを語り合う「知を開く」は、そこそこできているけれども(それだけでもすごくいいことではあるのですが..)「知を結び合わせる」までできていない感覚があり、せっかく開かれた知が活かしきれていない、知が循環していなくてもったいない!という課題感を抱いていました。

そこで、プロジェクトのリフレクションから実践知を言語化する活動を始めたり、リフレクションをやりっぱなしにしないためにどうしたらいいかを考えて取り組んでいこう!と思いました。(これがちょうど2021年の半ばあたりだったはず)

ちなみに「リフレクション」に関しては、CULTIBASEで記事や動画コンテンツを作っているので、合わせて見てみてください。

デザインの実践知に興味をもったきっかけ

ここで、そもそも私がリフレクションから実践知を見つけることに興味をもったきっかけをふり返ってみたいと思います。私はもともとデザイナーなので、

「デザイナーなのに、自分でデザインしたくならないの?」
「(自分以外の)デザイナーの知を見つけることをやりたいと思うのは、なぜ?」

などと聞かれることも度々あります。確かに、デザイナーなら自分でよりよいデザインをつくりあげたい!と思うのが普通かもしれませんが、私は以前からデザイナーとしてさまざまなWebサービスのデザインに関わるなかで、徐々に「どうしたら、チームや組織としてデザイナーの力を最大限に活かして、世の中にあるプロダクトやサービスをよりよくしていけるか?」という方向へ関心の軸が移っていきました。なぜ、私がこう考えるようになったかというと、自分だけでなくまわりのデザイナーを見ていて、「もっとデザイナーとしてできることがあるはずなのに、任せられていることが持っているポテンシャルのほんの一部でしかなくてもったいない!でも、デザイナーができることをまわりにうまく言語化して伝えきれないから、デザイナーに任される範囲が限定的になってしまってもったいない!」と感じることが多々あったことが背景にあります。

私が最初にデザインの省察から実践知を見つけることの面白さに触れたのは、「じゃない感」というデザイン知(デザイナーがデザインをするとき独特の知性)を知ったときでした。この「じゃない感」というデザイナーの知は、日本デザイン学会の特集号「実践するデザイナーたちのデザイン知とはなにか?」(デザイン学研究特集号 第21巻3号 通巻83号, 日本デザイン学会, 2014)に書かれていました。

たくさんのアイデアを描き、描いたもののなかに違和感を感じとり「これじゃない」ところを見出している。そしてその「じゃない」のなかに次に描くべきものの可能的世界を見出している。デザイニングにおけるそういう方略を駆動する知性を「じゃない感」と名付けた。

須永剛司「実践するデザイナーたちのデザイン知とはなにか?」デザイン学研究特集号 第21巻3号通巻83号, 日本デザイン学会, 2014

この「じゃない感」は、特集号を作るために開催されたワークショップでの一人のデザイナーの語りから導き出されたものでした。私もこのワークショップには一参加者として参加していました。私はこの「じゃない感」の話が出たグループではありませんでしたが、デザイナーが何を考えながら、どのようにデザインしているのか、なぜそのようなやり方をしたのかなど、できあがったデザインを見ただけではとても分からないアウトプットの背景にあるデザイナーの思考や価値観、些細な振る舞いに現れるこだわりが垣間見えてきて、どのグループの話もとても興味深く、「デザイナーって確かにこんなこと考えて仕事してるよな〜」と共感したことを覚えています。このワークショップを踏まえてできあがった特集号を読んで、デザイナーがやっていることってこんなふうに言語化できるのか!ととても興味をそそられました。

私にとって思い出深い特集号「実践するデザイナーたちのデザイン知」

「じゃない感」は、確かにデザインしていくときに「これだ!」という感覚より「これじゃない!」という感覚がデザインを進めていく力になっているということに、私自身もデザイナーとしてとても納得感がありました。こういうふうに、一見何を考えて何をしているのか分かりにくく暗黙知と言われやすいデザインという行為を言語化することを私もやってみたいな〜、いつかできるようになれたらいいな〜となんとなく思うようになりました。

この経験は、私がデザインの研究に関心をもつきっかけの1つでもありました。その後いろいろな経緯があって、仕事をしながら大学院(修士)で研究に取り組み、さらにその後MIMIGURIへジョインして今に至るのですが、このあたりの経緯は過去にnoteに書いたので潔く飛ばします。(気になる方は「デザイン研究へのチャレンジ」のnoteを見てください)

リフレクション文化が徐々に根づいていく

ここまで書いたように、以前から抱いていたデザインの実践知への関心はありつつ、MIMIGURIでの私の最近の活動は、大学院時代に行ったリフレクションの研究(当時の研究テーマは「チームづくりのためのリフレクションの方法と方法論」)から派生してきたものでした。

2021年頃からMIMIGURI内のコンサルティング事業におけるナレッジシェアの文脈でリフレクションが活用され始め、「知を開く」リフレクション文化はMIMIGURI内で徐々にできてきていると感じています。(ちなみに、このあたりの動きは私だけがやろう!と言って始めたというわけではなかったりします)

例えば、プロジェクトが終わったらプロジェクトチームでリフレクションを実施して、社内のコンサルティング事業に関わるメンバーが参加する定例MTGで、リフレクションの内容やそこで得た学びをシェアすることをルーティーンとして実施するようになりました。

「知を巡らせ、結び合わせる」ために何をしたらいいのか

リフレクション文化が徐々に根付いていきながらも、さらに「知を巡らせ、結び合わせる」を実践していくために、開かれた知について、もう少しその知がどういう意味をもっているのかを深めていく活動をしようと思いました。ここ1年で新たに実験的にやり始めたことをリストアップしてみます。

・個人の暗黙知の深掘り→言語化&構造化
・プロジェクトのリフレクションから見つけた知を言語化し、知のデータベースへ貯めていく
・コンサルティング事業の領域テーマごとに、継続的にリフレクションや対話をして形式知化を目指す

MIMIGURIの中でも、特にこの人はすごい暗黙知をもってると言われるメンバーが、一体何を考えながら、何をしたのかを根掘り葉掘り深掘りする暗黙知深掘り会を実施して、知を言語化、構造化してみるところまでやってみています。また、ブランディングに関わるクリエイティブデザインやファシリテーションなどコンサルティング事業の領域テーマごとに、社内外で共有できるような形式知化を目指す取り組みもいくつかやってみています。

これらの活動をやってみて、なんとなくわかってきたことを3つほど紹介します。

1. 見えてきた知を自分の言葉で言語化し直すまでがリフレクション!と言いたい

これは、主にプロジェクト終了後にプロジェクトチームで、個人やチームのよさをふり返っていくリフレクションの話です。チームの対話が盛り上がって「なんとなく、すごい学びになった気がする〜!」で終わらせてしまうと、以後の活動に学びが活かされにくいと感じています。リフレクションで感じたよさや学びをすぐにしっくりくる言葉で言語化するのは難しいですが、"生煮え"でもまず言語化してみる、知に名前をつけてみることは大事な気がしています。MIMIGURIでは、プロジェクトのリフレクションの最後に"生煮え"の知を言語化して残しておくためのフォーマット(「知のかけらシート」と呼んでいます)を用意して活用したりしています。自分の言葉で言語化し直すことで、自分なりの解釈ができ、それが自分の中で記憶に刻まれ、何らかの次の実践にもつながりやすくなるのではないかと思います。

2. 対話の中で小さい知の循環を起こすとよさそう!?

社内で言語化されてきた"生煮え"の実践知を他者へ開くときには、その知の領域に関わる実践経験があるメンバーが参加して一緒に対話するとよさそうだと感じています。そうすると、単純にナレッジをシェアして終わりではなく、その場にいるメンバー間で「知が巡り」、一人ひとりのなかで知の解釈が進み、全体として開かれた知の意味が深まって「知が結び合わさっていく」感覚が得られるのです。そして、その場に参加した人たちの間で触発が起き、その後自分なりに解釈して自分で何か実践してみよう!という動きにもつながりやすいように感じています。これはまさに小さい知の循環(知を開いて、巡らせ、結び合わせる)が起こっていることの現れとも言えるのではないかと思いました。知の循環にも大きいサイクルと小さいサイクルがあるのではないかという仮説が自分の中で生まれてきました。(このあたりをもう少し考察を深めていきたいところ..)なので、最近はいかに小さい知の循環を日常のなかでまわせるかが大事ではないかと思っています。このための活動やしくみをもう少し考えてみたいと思っているところです。

3. 何を知として言語化するのかの探究も重要そうだ!

暗黙知を言語化していこうとするときに、ここでいう「知」とは何か?そこには何が含まれるのか?を捉える必要が出てきます。ナレッジマネジメントで言われるナレッジは、「こういう場合に、こうするとよい」のような行為としての方法、いわゆるノウハウで語られることが多い気がしているのですが、私はそれだけだと物足りなさを感じます。「こういうことをやるといいよ」だけ言われても、なぜそれがいいのかがピンとこないからかもしれません。なので、背景にどんな考えや価値観があるのかまで知りたくなるし、そこが見えてきて初めてそのノウハウの重要性がわかるようになるのではないかと思います。

実践知の分類に関する仮説は、今年のデザイン学会の研究発表でも少し触れました。

実践知の分類に関する仮説(日本デザイン学会 第69回研究発表大会で研究発表したもの)

知として何をどのように言語化しておくとよいのか・・絶賛探究中なので、またの機会にどこかでお話したいと思います。

日常のなかで、知の循環をまわしていくために

私はMIMIGURI内で一応リフレクションを推進している立場にはありますが、リフレクションはあくまで手段でしかなく、リフレクションをすることを目的にしたり、リフレクションすることを意識しすぎると逆にうまくいかない場面もあると思っています。なので、私自身も「リフレクションやろう!」と言ってリフレクションをすることは、実は少ない気がします。

また、常に暗黙知のまま放置しておくのがダメ!というわけでもないです。何でもすぐに他者がマネできる形式知として言語化するのがよいとも限らないし、できるとも限らないと思います。知が深まっていないのに無理矢理きれいにドキュメントにまとめても、誰かを触発する知にはならず、活きる知にはならないと思います。なので、暗黙知を完全に放置することはないように、日常の中で考えたり対話したりすることの積み重ねで少しずつ言語化を進めていけるような活動ができればいいくらいに捉えています。でも続けることが大事だと思っています。

ここまで書いてみて

この記事のタイトルに「暗黙知ハンター」と書きましたが、別に社内でそう名乗っているわけでもないし、言われているわけでもないし(1、2度言われたことはありますが..)、そうなりたいとは思っていません。

「ハンター」というと、暗黙知が少しでもあると狙い撃ちされる!?みたいな怖そうな印象を持たれそうですが、実は「hunting」とは試行錯誤しながら方向性を探っていくようなものなので、私が今MIMIGURI内で「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」のあり方を試行錯誤しながら取り組んでいるアプローチにも通じるものがあるのかもしれないなと思いました。

余談ですが、デザインプロセスを「ハンター」のメタファーで例えたラリー・ライファーの"Hunter-Gatherer Model"は、ものごとを進めていく考え方として好きなので動画を貼っておきます。

そして、暗黙知を見つけて言語化したり形式知化する専任の人がいる状態は、組織として理想ではないと思っています。日常のなかで自然と暗黙だった知が開かれ、メンバー間を知が巡っていき、さまざまな実践や省察の対話を通じて知の意味が深まり言語化が進んで知が結び合わさっていき、さらなる次の実践に知が活かされていく状態ができることを目指したいです。なので、私は「暗黙知ハンター」にはなりたくないのです。

暗黙知を見つけて、知を言語化していくことに関心はずっともっていたものの、これまでそれが自分の研究テーマや活動の中心にはなっていませんでした。でも、ここ1年ほどリフレクションの実践・研究活動を進めていくうちに、徐々に自分の活動が、リフレクションだけにとどまらず、リフレクションから見出された知を組織のなかでどのように扱っていくのかという領域へ拡張されつつあると感じています。(偶然か、必然か..)まだ、私が所属するMIMIGURIというとある組織内で試行錯誤しながら取り組んでいることにすぎませんが、来年もMIMIGURIでやってみた「知を開いて、巡らせ、結び合わせる」取り組みの知を"生煮え"でも開いて、巡らせ、よりよい知の循環のあり方を探究し続けていきたいと思います。「ナレッジマネジメント」領域に関心のある実践者&研究者の方がいれば、ぜひディスカッションしましょう。

最後に

MIMIGURI Advent Calendarも残すは2日。明日は、私と同じMIMIGURIの研究機関でいつもお世話になっている、組織開発の研究者、東南裕美さんです!
MIMIGURIのAdvent Calendar裏バージョンも面白いので、ぜひ合わせてどうぞ。

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