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【短編小説】さよならのお作法(一話完結)
秋ノ宮さんは考えている。
うどんを煮込みながら考えている。あとは卵をぶちこんで、蓋をして少し煮込んで完成だ、なんて思いながら、秋ノ宮さんは考えている。
さようならのお作法について。
ディープなはなしじゃぜんぜんなくって、ライトな感じのさようならについて。
それぞれの流儀がみんな違って、おもしろいなあ、って。こういうとこに個性でるなあ、って。
秋ノ宮さんのおうちにやってくる、宅配業者さんは主にふたり。ひとりは郵便局のお兄ちゃんで、もうひとりは佐川急便のお兄ちゃん。もちろん秋ノ宮さんよりずっと若い。
郵便局員さんのことを、「直角さん」と呼んでいる。もちろん、こころのなかだけで。直角さんは、郵便局員の標本にしたいような男で、髪をさっぱり切りそろえて、汚れのない眼鏡をかけて、荷物を手渡すと
「ありがとうございました。」
と言いながら、一歩下がって脚をそろえ、九十度に近いお辞儀をする。だから彼は、直角さん。
ちなみに佐川急便のお兄ちゃんのことは、「二代目」と呼んでいる。正式名称は「二代目サーファー」である。ほんとうにサーファーなのかどうか、秋ノ宮さんは知らない。
でもサーファーっぽい感じはするひとだ。肩ぐらいまで髪を伸ばして、それを明るい色に染めている。顔も筋肉のついた腕も、結構、陽にやけている。直角さんのほうは真っ白だから、職業柄とも言いにくい。
そして肝心の、なんで「二代目」なのかという点については、ひとつ前の佐川の担当さんもやっぱりサーファーっぽかったから、前のひとが「サーファーさん」で、いまのひとが「二代目」なのだ。
これらのあだ名は本人含め、誰にもしゃべったことがない。
秋ノ宮さんは知っている。宅配業者さんにはエリアチェンジがあることを。特定の顧客とおかしなことにならないように、定期的に地域替えがあるのだと、テレビのなかで言っていた。
だから必ず、さよならがあるのだ。
でもそんなことは本人しか知らない。彼らは顧客にいちいち言ったりしないのだ。秋ノ宮さんは、ただ、ああ、あれがあのひとと会う最後だったんだな、とあとから知るばかりである。
一番初めに覚えている、そんな「ビジネスさよなら」は、もうどこの業者さんだか忘れてしまったけど、かなり変わったひとだった。
そのひとは、なんだか秋ノ宮さんのファンだったみたいなのだが、なんでファンなのか、秋ノ宮さんには全然わからない。
あるとき印鑑を押すときに(当時はまだ印鑑制度が残っていた)秋ノ宮さんは何回も失敗して、欠けたやつとかぶれたやつとか、たくさん判子を押しまくってしまった。
「すみませんっ。」
って秋ノ宮さんが言ったら、そのひとは
「一生大切にします!」
と答えた。
秋ノ宮さんは、それあんたのちゃうやん、提出せなあかんやつやろ、とは思ったけど、なんにも言わなかった。
そのひとは来るたびににこにこ、にこにこしてたけど、ある日、まるでこの世の終わりのように、悲しそうな顔をして現れた。涙をこぼさんばかりのそのひとを見て、なにかあったのだろうと思ったけれど、特に尋ねはしなかった。
それがそのひととの最後になった。
一代目サーファーさんとのお別れは、それとは対称的だった。指定時間開始から三分以内に現れる、見た目と裏腹に律儀なひとだった。いつも笑顔で感じもよかった。
ある日そのサーファーさんが、いつもより一段と笑顔でやってきたので、秋ノ宮さんはよっぽど、なんか良いことがあったんですか? と訊こうと思ったけど、やっぱりなにも尋ねなかった。
サーファーさんは、いつもより一段とさわやかに、深くお辞儀をすると、笑顔のままで去っていった。
次にやってきたのが二代目だったから、ああ、サーファーさんとはあれが最後だったんだな、と秋ノ宮さんは思った。余裕のあるさわやかな笑みで、サーファーさんは締めくくったのだ。
海賊みたいな男だったな、と秋ノ宮さんは思った。うまく説明できないけど、去り際の余裕と笑顔がそう思わせたのだ。
ちなみにタクシーの運転手さんにもさよならがある。これはエリアチェンジというより、引退のときが多い。生活のリズムが乱れる仕事だから(タクシーの運転手さんはまる一日以上ぶっ通しで働き、翌日が休み、というスタイルである)、そしてコロナだなんだとあったから、年配のひとは辞めていく。
自分からはしゃべりかけない秋ノ宮さんも、話しかけられればいろいろ話す。そして結構、しゃべったほうが、お得に(もちろん、物書きとして)なることが多い。
年配運転手さんにとって、秋ノ宮さんは娘のような世代。余裕があるからしゃべってくれる。だいたい秋ノ宮さんは、話を聞く側のひと。
なかでも「朗らかさん」にはお世話になることが多く、奥様とのラブラブえっちな話を聞かせてくれた。秋ノ宮さんには意外だったのだが、女性はあがってしまっても、えっちしたい気持ちはあって、そういう気持ちのときに、奥様はとある合図をして帰宅を待っているらしい。
えっちをすると女は違う。肌の張りも色つやも、ぐんと良くなると教えてくれたのも、朗らかさんだった。
のだが、これ以上言うと朗らかさんに迷惑がかかるから言わない。
いつも楽しく話しかけてくれる朗らかさん。ある日、ずっと黙っていた。秋ノ宮さんには顔が見えない。後ろ姿しか見えない。だから朗らかさんではないんだと、ずっと思って揺られていた。
三十分も無言で乗って、お金を払ったあとで、朗らかさんは、
「きょう、僕はずっと黙ってたでしょ。」
と言った。
「しゃべってくれればよかったのに。ほかのひとかと思いました。」
と秋ノ宮さんは言ったけど、朗らかさんはなにも言わず、笑顔でいるだけだった。
そしてそれが、朗らかさんとの最後になった。
ささやかなさよなら。名前も知らない。それでも流儀があるのだと、思わずにはいられない。
その後、タクシー運転手さんは秋ノ宮さんと同世代ぐらいの若いひとばかりになった。これは結構難しい。話しかけてくれるほど、彼らに余裕はないのだが、どう見ても話したいって気持ちがだだ漏れているひとがいる。
彼らはため息をついたりして、合図を送ってくるので、話しかけない秋ノ宮さんも
「いいお天気ですね。」
などと振ってみる。
するとそれを皮切りに、堰を切ったように話し出す、ちょっとめんどくさいひとたちである。
そして宅配業者の「二代目」も、やっぱりいいやつだと早々にわかった。
ある日荷物を持ってきた二代目が
「昨日指定の荷物だったのですが、遅くなってしまって申し訳ありません。」
と言った。
秋ノ宮さんのほうは、送付元の手違いで遅くなる旨、メールで連絡を受けていた。二代目のせいでは全然ないのに、彼は謝罪を述べたのだ。
秋ノ宮さんは、送付元から連絡をもらっているから、気にしないでください、と言った。
人間って、やっぱりいろいろ面白いな、と思いながら、熱々のうどんをすする秋ノ宮さんである。
〈おしまい〉