【(わりと)短編小説】ほらふきかっちゃん・5
事件が起こったのはそのあとだった。かっちゃんより少し前に男湯を出た僕は、フルーツ牛乳を冷蔵庫から取ろうとしてふらつき、三本も割ってしまったのだ。なんと恐ろしい、大変なことをしてしまったんだろうと思って、半べそになった。怖くて怖くて、謝ることすらできないでいた。
掃除のおじさんがすぐにモップとちりとりを持ってやってきて
「坊主、怪我はなかったか? 危ないからあっちに行って座っとけ」
と言った。言われるままに、隅っこの椅子に座って、涙をぬぐっていた。
かっちゃんは、母ちゃんからフルーツ牛乳二本分しかお金をもらってないはずだ。どうしよう。僕の今月のお小遣いはもう使っちゃった。来月まで待ってくれるだろうか。
「大丈夫や、悠馬」
そのときかっちゃんは、コーヒー牛乳を二本持って、僕の横に座ったんだ。
「かっちゃん、お金あったの? 僕の割っちゃったフルーツ牛乳は?」
「その分も払ってきたから心配するな」
僕が驚いてかっちゃんを見ると
「かっちゃんにだって、すこしぐらい蓄えがあるさ」
と、照れたように、かっちゃんはコーヒー牛乳を一本寄こした。
「僕、コーヒー牛乳飲むの初めてだ」
冷えたコーヒー牛乳の瓶をじっと見つめた。
「悠馬ももうおとなや。コーヒー牛乳くらい、飲んでもええやろ」
「かっちゃん」
僕は、こころの奥にあることを言おうとして、ためらった。
「かっちゃん、あのね」
「うん」
「僕……なんの役にも立てなかった」
僕の目からは、再び涙がこぼれそうだった。
「割っちゃった瓶のあと片付けも、フルーツ牛乳を弁償することも」
「悠馬。大事なことだから、よう聞けよ? 一回しか言わねえから」
「なに?」
「人間は、役に立つために生まれてくるんやない」
僕はぽかんとしてかっちゃんを見つめた。
「じゃあ、なんのために生まれてくるの?」
「生きてることを喜び、生きてることを苦しみ、生きてることを悲しみ、生きてることを楽しむために生まれてくるんや」
かっちゃんの本当に言いたいことは、僕にはわかんなかったかもしれない。でも、かっちゃんを見てれば、伝わるものがあった。「役に立つために生まれてくるんじゃない。」
かっちゃんは普通のおとなとは違った。かっちゃんは一切、役に立とうとしていなかった。そのかわり、僕が知る限り、誰にも迷惑をかけていなかったし、誰にも引け目を感じているようには見えなかった。そんなちっぽけな駆け引きなんてしてたまるか、と思ってるみたいだった。
かっちゃんはすごい、と僕は思った。