
【マキアヴェッリ語録】 第4回
マキアヴェッリ語録
🔷 塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷
今回から7年前にブログで投稿した記事を再構成して、お届けします。(2015-04-19 20:08:17 初出)
目的は手段を正当化する
マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。
その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。
目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。
実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。
福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
容易に訂正されることはありません。
話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。
先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。
マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。

塩野七生さんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。
尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。
塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由
この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。
第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証し、であったのです。
マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。
抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。
しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
お待たせしました。マキアヴェッリの名言をご紹介していきます。
マキアヴェッリの名言
第1部 君主篇
わたしがここに書く目的が、このようなことに関心をもち理解したいと思う人にとって、実際に役に立つものを書くことにある以上、想像の世界のことよりも現実に存在する事柄を論ずるほうが、断じて有益であると信ずる。
歴史に残るほどの国家ならば必らず、どれほど立派な為政者に恵まれようとも、二つのことに基盤をおいたうえで種々の政策を実施したのであった。
それは正義と力である。
正義は、国内に敵をつくらないために必要であり、力は、国外の敵から守るために必要であるからだ。
君主(指導者)は、それをしなければ国家の存亡にかかわるような場合は、それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、いっさい気にする必要はない。
なぜなら、たとえ一般には美徳のように見えることでも、その結果はと見れば、共同体にとっての安全と繁栄につながる場合もあるからである。
マキアヴェッリの語る言葉は深い
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。
君主(指導者)を言い換えれば、リーダーですが、リーダーの心構えを説いている部分は、リーダー個人のことよりも国家を優先せよ、と私は解釈しました。
自分の人気や評判を気にするのではなく、もっと大きな視野で物事を見なさい、と言っていると思います。
上に立つものは「大人物になれ」、と言っているのです。
小心者では務まりません。
他人から嫌われることも必要なのです。
「正義と力」について説いている箇所もじっくり考えてみる必要があるでしょう。
正義と力の使い方を誤ると国を滅ぼします。
天下国家を論ずるという機会がなくなった現代の日本だからこそ、もしもマキアヴェッリが現代に生きていたら、いろいろなことを質問してみたい、
という気持ちになりました。
🔷 著者紹介
塩野七生(しおのななみ)<著者紹介から Wikipediaで追加>
日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。
2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。
99年、司馬遼太郎賞。
2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。
2007年、文化功労者に選ばれる。
高校の大先輩でした。
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