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【マキアヴェッリ語録】 第3回

🔷 「歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。 だが、特に指導者にとっては師匠(マエストロ)である」 🔷 

 塩野七生さんのご著書『マキアヴェッリ語録』(新潮文庫)から私の心に残った言葉をご紹介します。

前回の言葉については最後にリンクを貼っておきますので、ご覧ください。

マキアヴェッリ語録

◎ 私の心に残った言葉 ◎

「歴史は、われわれの行為の導き手(マエストロ)である。 だが、特に指導者にとっては師匠(マエストロ)である」(P.149)

この言葉の続きは次のように書かれています。

「人間社会には、相も変わらず同じことを考え、同じことを望む人間がんできたのだ。 社会構造が変わっても、誰かが支配し、誰かが支配され、ある者は喜んで支配され、他の者は不満たらたらで支配されるということならば、なにひとつ変化はなかったのである。 そして、それに反逆した者も結局はもとのさやにもどるということでも、同じなのだ」(P.149) 『ヴァルディキアーナ地方の住民の統治方法について』)


 なかなか深い言葉だと思いませんか?

 イタリアの歴史と同様に日本にも長い歴史がありますが、大局的に見ればほとんど変化がないと感じます。

 支配する者と支配される者との関係は変わりません。その関係が逆転することは稀です。


愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ

 「歴史」という言葉で連想されるのは、ドイツの宰相ビスマルクが言ったとされる、 「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」 がありますね。

 ところが、ビスマルクが言った「歴史」という意味を取り違えていると指摘するサイトが見つかりました。

 ここでの「歴史」は世界史や日本史の「歴史」ではなく、「他人の経験」だというのです。

 ドイツ語の原文を見てみましょう。その後にGoogle翻訳で日本語を掲載します。

<原文>

Nur ein Idiot glaubt,aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor,aus den Erfahrungen anderer zu lernen,um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.

<Google翻訳>

「自分の経験から学ぶことができると思うのは馬鹿だけです。
そもそも自分の過ちを避けるために、他人の経験から学ぶことを好みます。」

 このように原文からの翻訳文と、人口に膾炙(かいしゃ)している言葉を比べるとまったく印象が違いますね。

 誤訳とさえ指摘しているサイトがありました。

 今回は歴史にまつわるマキアヴェッリの言葉をご紹介しました。

 ちなみに、塩野七生さんは、『マキアヴェッリ語録』の「読者に」というまえがきで次のように書いています。


読者に

「私の目の前にあるのは、イタリア語の原文です。(中略) これほどの文体を、要約することによって私の文体に変えてしまう気には、どうしてもなれませんでした。 抜粋という方法を選んだのには、『紆曲』どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです」(P.15)


🔷 著者紹介

塩野七生しおのななみ<著者紹介から Wikipediaで追加>

日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。

同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。

2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。

99年、司馬遼太郎賞。

2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。

2007年、文化功労者に選ばれる。

高校の大先輩でした。


「マキアヴェッリ」と『マキアヴェッリ語録』については、<【マキアヴェッリ語録 第1回】>をご覧ください。


【マキアヴェッリ語録 第1回】


「やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ」


【マキアヴェッリ語録 第2回】

「突然に地位なりなんなりを受け継ぐことになってしまった者にとって、心すべき最大のことは、なによりもまず最初に、しかもただちに、土台をかためることである」


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