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【マキアヴェッリ語録】 第7回
マキアヴェッリ語録
🔷 塩野七生さんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう 🔷
7年前にブログで投稿した記事を再構成して、お届けします。
(2015-05-04 17:44:47 初出)
目的は手段を正当化する
マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。
その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。
目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。
実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。
福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
容易に訂正されることはありません。
話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。
先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。
マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。
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塩野七生さんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。
尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。
塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由
この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。
第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。
マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。
抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。
しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。
お待たせしました。マキアヴェッリの名言をご紹介していきます。
マキアヴェッリの名言
第1部 君主篇
君主たる者、ケチという評判を怖れてはならない。なぜならこの“悪徳”は、自らの金庫を空っぽにすることなく、かといって略奪者にもならず、それでいて統治をつづけていくための必要な“悪徳”だからである。
慈悲深い君主と酷薄な君主とでは、どちらが良い君主と言えるかという問題だが、思いやりにあふれ残酷なところなどまったくないという人物ほど、望ましい君主像はないというのは当り前である。
だがこれも、下手に使うことがないよう注意する必要がある。
(中略)
君主たる者、酷薄だという悪評を立てられても気にする必要はない。歴史は、思いやりに満ちた人物よりも、酷薄と評判だった人々のほうが、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれている。
君主にとっては、愛されるのと怖れられるのとどちらが望ましいであろうか。
当然のことながら、ほとんどすべての君主は、両方ともを兼ねそなえているのが望ましい、と答えるにちがいない。しかし、それを現実の世界で行使していくのは実にむずかしい。
それで、ほとんどの場合一方を選ぶしかないとなるのだが、わたしは、愛されるよりも怖れられるほうが、君主にとって安全な選択であると言いたい。
なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、容赦なく傷つけるという性向があるからだ。
人間というものは、恩義の絆で結ばれている愛情などは、利害がからむとなれば平然と断ち切ってしまうものである。一方、恐怖でつながれている場合は、復讐が怖ろしく、容易には断ち切れない ものなのだ。
マキアヴェッリの語る言葉は深い
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。
マキアヴェッリは人間観察に優れた人だった、
と想像します。心理学にも長けていたのでしょう。
「ケチ」の話が出てきましたので、一つエピソードをご紹介
しましょう。
「真の金持ちはケチである」という話です。
元マイクロソフト日本法人社長の成毛眞氏が、
著した、
『成毛眞の超訳・君主論』
(成毛眞 メディアファクトリー新書 2011年12月31日
初版第1刷 発行)
の中に、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が来日した際、
東京のオフィスを表敬訪問し、語った言葉に成毛氏が「驚愕」
したエピソードが書かれています。
金持ちはけち、というのは定説になっている。
ビル・ゲイツがけちだというのは有名な話だが、もちろん、彼はそんなことを気にかける様子はまったくない。
以前、ビル・ゲイツが来日して東京のオフィスに来たときに、開口一番、「オフィスの入り口の足拭きマットは必要か?」と言った。
挨拶を交わし、互いに近況報告をし合うという雑談を抜かして、いきなり足拭きマットの話である。私はなんのことかと、ポカンとしてしまった。
(中略)
彼は、エレベーターで7階まで上がってきたとき、1階にあった足拭きマットが受付にもあることに気づいたのである。敷いてあったのは、ごく普通 のオフィスで使うレンタルのマットだった。
「1階のマットで靴の泥は取れるんだから、このマットは必要ないじゃないか。いったいこのマットに経費はいくらかかっているんだ?」
それで、総務部が急いで調べて、
「月間3千円弱です」
「すぐやめなさい」
というやり取りがあり、即中止となった。
(中略)
企業の経営で利益を追求するには、ムダを省いて節約するのは基本中の基本だ。経営者にとっては、3千円だろうが3千万円だろうが同じことである。
ビル・ゲイツに関してはその他にも、アメリカでは割引クーポンを持ってマクドナルドへ行っている、
飛行機はエコノミークラスしか乗らないなど、いろいろな噂があった。
世界一の億万長者(当時)である、ビル・ゲイツ氏だからこそ、
「真のお金持ちはケチである」というエピソードが強く印象に残ります。
事業に投資するためなら、莫大なお金を出すことをいとわなくても、
ムダは徹底して排除していることが分かりますね。
日本では、少し金持ちになると、超高級外車を乗り回したり、超一等地の億ションに住んでいることを吹聴したり、ド派手な結婚式を催したりといった話題を振り撒きます。
(少々、羨ましいですが・・・)
本当のお金持ちはこんなことにはお金をかけないの
ですね。リターンが得られる投資をするのでしょう。
「消費」「投資」「浪費」を明確に分けているのです。
私はとてもお金持ちになれそうにありません(苦笑)。
次の言葉は深いですね!
「歴史は、思いやりに満ちた人物よりも、 酷薄と評判だった人々のほうが、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれている」
🔷 著者紹介
塩野七生<著者紹介から Wikipediaで追加>
日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。
東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。
日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。
1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。
同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。
2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。
99年、司馬遼太郎賞。
2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。
2007年、文化功労者に選ばれる。
高校の大先輩でした。
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