プロ野球交流戦の思い出あれこれ~バファローズ編~
早いもので今年ももう6月、プロ野球界はセ・パ交流戦で盛り上がる季節を迎えました。
私も関西に住むプロ野球ファンの端くれとして、毎年少なくとも1試合は交流戦を現地観戦するようにしています。
ただ、例年交流戦に強いイメージのある地元球団のオリックス・バファローズが、打線の不振や相次ぐ投手陣の離脱等により、交流戦最初の2カードに負け越し苦しいスタートとなったのが気がかりなところです。
今日はそんなバファローズに気合を入れるべく、過去のバファローズの交流戦に関する思い出を綴ったコラムを3本お届けします。
ほっともっとフィールド神戸での交流戦開催
2024年現在、バファローズ主催の交流戦は原則として全試合が本拠地の京セラドーム大阪で開催されています。しかし、かつては準本拠地であるほっともっとフィールド神戸(グリーンスタジアム神戸)でも、交流戦の主催試合の一部を開催していました。
一例を挙げますと、2010年5月30日の対東京ヤクルトスワローズ戦と、2012年5月26・27日の対広島東洋カープ戦の例があります。
前者はオリックス・ブルーウェーブ時代の1995年の日本シリーズ、後者は阪急ブレーブス時代の1984年の日本シリーズになぞらえた復刻試合として催され、当時のユニフォームをまとった選手やマスコットを前に、老いも若きも大いに盛り上がりました。
振り返ると、バファローズとスワローズは、阪急ブレーブスや大阪近鉄バファローズの時代から幾度となく日本シリーズで死闘を繰り広げた良きライバル同士です。
今後、ほっともっとフィールド神戸のリニューアル計画が進捗した暁に、復刻ユニフォームでも現行のユニフォームでも良いので、もう一度この2チームによる交流戦が組まれることを強く願います。
神様仏様宮城様が生まれた日
コロナ禍真っ只中、2021年6月9日に入場制限のうえで京セラドーム大阪で開催された読売ジャイアンツ戦。
当時19歳、高卒2年目の宮城大弥投手が先発。ジャイアンツ岡本和真選手にホームランこそ許したものの、宗佑磨選手の先制ホームラン、伏見寅威選手(現北海道日本ハムファイターズ)のタイムリーヒットによる援護もあり6勝目を挙げました。
この試合の2日後、ちょっとした事件が起きます。
前年オフより、勝利のための験担ぎ(注)も兼ねて頭髪を伸ばしていた宮城投手ですが、突然自慢の長髪をバッサリ剃り落とし、大胆にも0.5cmの坊主頭にイメチェンしました。
断髪時のビフォーアフターは早速球団の公式SNSで公開され、たちまち話題になったものです。
坊主頭に生まれ変わった宮城投手のイラストをあしらった「神様仏様宮城様」グッズは、発売後たちまち完売する盛況ぶりでした。
あれから3年経った今、宮城選手は再び坊主頭に戻り、同じく坊主頭にした同期の紅林弘太郎選手と合わせて「ボウズボウズ」のコンビ名で親しまれています。
先月頭より故障で戦線離脱している宮城投手が1日も早く復帰し、その快打で留守を守っている紅林選手と2人でお立ち台に上がる日が待ち遠しいです。
(注)この年の宮城投手ですが、ジャイアンツ戦の1週間前に行われたタイガース戦でシーズン初黒星を喫しており、トレードマークの長髪での不敗神話は終わっていました。
名古屋に生きる近鉄バファローズ文化
バファローズは前身の(大阪)近鉄バファローズの時代に、親会社の近畿日本鉄道(近鉄)の沿線であるナゴヤドーム(現バンテリンドームナゴヤ)やナゴヤ球場、長良川球場でも時折主催試合を開催していました。
言うまでもなく、愛知県や三重県、岐阜県(注)の近鉄沿線の地域では、駅の掲示物やチラシなどを通してバファローズに親しみを持つ人も多く、現在もオリックス・バファローズを応援している人が一定数いるようです。
(注)三重県の桑名駅と岐阜県の揖斐駅を結ぶ養老鉄道養老線は、2007年までは近鉄の養老線でした。また、かつては岐阜市に岐阜近鉄百貨店もありました。
昨年2023年6月4日、バンテリンドームナゴヤで中日ドラゴンズ対オリックス・バファローズの交流戦を観戦する機会に恵まれたのですが、案の定ビジター側の応援席には近鉄バファローズ、大阪近鉄バファローズの懐かしいユニフォームを纏った昔からの男性ファンの方の比率が高かったです。
私もそれを意識して、大阪近鉄バファローズの復刻Tシャツを着て観戦しました。
近鉄時代からのユニフォームを身に付けた昔からのファンの方がどちらにお住まいなのかは、外見だけでは判断することは難しいですが、そこにはバファローズの本拠地・大阪から比較的近く、また近鉄電車で大阪と結ばれているという名古屋ならではの地域性がたしかにあるように思いました。
もちろん、往路に利用した近鉄名古屋線の急行電車、復路に利用した近鉄特急「ひのとり」の車内でも、バファローズ・ドラゴンズ両軍のファンの方を数多く見かけました。
あくまで、バンテリンドームナゴヤでの交流戦を1試合だけ見て思ったに過ぎない感想ですが、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの球団合併と、それに伴う近鉄球団の消滅から20年になろうとする現在もなお、東海三県、特に近鉄沿線のバファローズ愛は根強いようです。
可能ならば、毎年バンテリンドームナゴヤ、ナゴヤ球場、長良川球場あたりでバファローズ対ドラゴンズのオープン戦を組む、あるいは交流戦の1カードあたりの試合数を以前のようにセの本拠地で2試合、パの本拠地で2試合という形に戻すなどの措置があっても良いのではとまで思いました。
実現にあたっては数々の解決すべき課題も多いと思いますが、何らかの形で東海地区の丑党が1試合でも多く手軽に熱戦を楽しめるようになって欲しいというところです。
最後に、現在交流戦で2勝5敗と出遅れているバファローズが残りの試合で巻き返しを図れること、そして故障者の続出による長い低迷のトンネルから1日も早く抜け出せることを願って結びとさせていただきます。