激しく美しい映画「さらば、わが愛 覇王別姫」
「さらば、わが愛 覇王別姫」。ツイッターでポスタービジュアルを見た瞬間、これは見に行かなければと思った。中国映画などほとんど見たことはなく、レスリー・チャンという名優の存在も知らず、しかしその凛とした横顔にくぎ付けになった。中国らしい、赤を基調とした作り物の華やかな色彩の中で圧倒的な存在感がそこにあった。見終わったいま、わたしの人生においてこの映画はナンバーワンになった。これを”映画”っていうんだな、というのを今ごろ知った気がする。
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現代日本に生きるわたしからは想像できないほど過酷な環境で、運命に従うしかない主人公たち。生き延びるために身に着けた芸、踏みにじられた自由と尊厳に抵抗する暇もなく、狭い世界の中でひたすら与えられた役をこなし、そんな中で兄弟子への愛も芽生える。皮肉なことに、その不自由さこそがより蝶衣の美しさを際立たせる。
映像作品、特に国内作品を見ているとほかの作品やバラエティなどで見て人物の印象もあるせいか、自覚せず余計な主観が入っていることが多いのだが、今回に関してはレスリー・チャンという人がただ蝶衣という人物にしか見えず、終わったあとも、この人は京劇出身の人なのだろうか、同性愛者なのだろうか、などリアルとフィクションの区別がつかなかった。
なんだろう、このたたずまい。圧倒的な美しさとはかなさ。受け身な部分と芯の強い部分は女性らしく、舞台の上でも降りた後でも小楼を見つめるまなざしは愛おしい。リアリティのないような人物なのに、そこにいるのが不思議に思える。女形だから? 化粧をしてるから? いや、レスリー・チャンだからに違いない。この人が醸し出す雰囲気は唯一無二。俳優になるべくしてなったのだろうな、なんて思った人ははじめて。
恋敵として登場した菊仙は、最初は分かりやすく嫌な女だという印象だったのが、彼女もまたそう生きるしかなく、清濁併せ持つ一人の人間だったことに気づかされる。特に美人でもないように思っていたが、物語が進むにつれて「こんなにきれいな人だっけ」と見るたびに変化していった。菊仙の最期、文化大革命で夫に裏切りの言葉を投げかけられ絶望したときの顔が頭から離れない。悔しさでも怒りでもない、寂しさを通り越した先にある絶望の表情というのはこういうものなのだろう。
最近の国内映画は誰もが知る有名人か、自分の好きな俳優が出ていないとあまり見る気がしない(テレビやネット情報に翻弄されている自分の愚かさに気づかされたともいえるのだけど)。今回、なじみのない中国映画を見ることで、本当に良い作品だったり良い俳優は、自分が知ってようが知ってまいが、良いものは良いのだということを教えてもらった。ついでに中国の歴史や文化について無知だとしても、国境を越えても美しいものは美しく、人間の心が震える瞬間は同じだと発見できたことはうれしかった。
京劇という文化、そこに預けられる子どもたち、戦争に文化大革命と中国のリアルとリンクした本作は、今では考えられない厳しい時代であり、トップの方針によって人々の思想も極端に振り切っていたらしい。50年でこれだけのことを経験するなんてどんだけ壮絶なんだよ。フィクションとはいえ、似た状況で実在する人物もいたはずだ。
理不尽な運命に翻弄された主人公たちだが、苛烈な時代を生き抜く人々は、この映画の中のように、善人も悪人もただ自分を全うしていたのだろう。平和な現代である程度の自由と選択を与えられたわたしからすると、不謹慎かもしれないけど少しうらやましくもある。20代前半の頃のわたしもそんなことを考えていたことを思い出した。当時、友人にいうと「いまの方が幸せに決まってるでしょ」と怒られたことがあった。そりゃそうなんだけどさ。不満のない状態よりも、不満だらけで何かを渇望しているときの方が生き生きするのは人間の性。子どものころと今とを比較しても、その差は歴然だよなあと思う。まだまだ人生は長い。ぼんやり生きてる場合じゃないよ、あたし。なんて思った。
見終わってから知ったのだけど、これ30年前の作品ですって。驚愕。また少し経った頃に見たいなあ、できたらスクリーンで。
覇王別姫が好きすぎて、もう1本記事を書きました。