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日記にっきダイアリー

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その日思ったこと・常々考えていることを書いています
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記事一覧

高齢者だろうが容赦しない

前回のイケズ話の続編です。母と娘の日常的なひと悶着。 ある朝、高齢母が右肩を痛めて腕が上がらなくなった。痛みのあまりロクに眠れず、服を着るにも腕が痛すぎてツライのだという。だから「服を脱ぐのを手伝って」といわれた。わたしがイライラしながら服を引っ張ると「痛いっ。もっと優しくしてよ」と不機嫌そうに顔をしかめる。左を先に脱がせ、傷めた右はあまり動かさずに済むようにやり方を変えたら無事脱げた。ただ、「もう二度と手伝わない。あとは自分でやれ」と突き放した。その場を去ろうとすると、後

イケズの言い分 ”甘やかし”と”優しさ”は別物です

イケズというのは、わたしのこと。傍から見てイケズなヤツに見られるのは百も承知。しかし自分としては全くそのつもりはないので、態度を変える気もない。 そうはいっても、人に話すと99%同意してもらえないので、ここに書くことにした。100人に1人ぐらいは同意してくれる人がいるだろうという期待を込めて。 イケズを発動する相手はほぼ母親だ。事件の大小はあれ、いつも母相手に似たようなことが原因でわたしは怒り、イケズっぷりをぶちまけている。今回はそんなしょうもない日常の事件の1つをご紹介

母に学ぶ 地域コミュニティの真髄

「地域コミュニティ」なんて言葉には、1ミリたりとも興味がないであろう、うちの母。清掃活動とか”火の用心”といった町内会の活動には最低限参加するけど、積極的に動くタイプではない。マイペースに適当に平和に生きている母から、こないだ意外な形で「これが地域コミュニティの真髄か」と学んだ出来事があった。 「火傷をしたから散歩に行く」? 料理をしている途中で火傷をした母。 「火傷したから、ちょっと散歩してくる」と言って出て行った。火傷したから散歩? どういうことだ。 10~15分ほ

大型書店の歩き方

本を探したいときも、何もないときも、時間さえあれば書店へと足が向く。子どものころからの習慣なので、何を目的にするわけでもなく、ウロウロ歩くだけでも心が休まるのだ。 幼い頃は近所の小さい書店に行っていたが、いまは大型書店しか行かない。それは、時代の流れで本屋の位置付けが変わったことと、大きくなるにつれて自分自身の興味の対象が変わっていったから。いまの自分が読みたい本が、小さい書店にはないのだ。 最後はやっぱり紙がいい 「本は友達」ということばがそのまま当てはまる私にとって

モーフィアス散歩

妄想で日常を彩る日記。 先日、モーフィアスと散歩をした。 運動をしないわたしは、暇があればとにかく歩くことにしている。普通なら電車でいくところを歩いていく。片道2キロは当然のように徒歩圏内。3キロは気持ちに余裕があればいける。歩くのが面倒になったり早く帰りたいときは、帰りだけ公共交通機関を使うことが多い。今年の猛暑(酷暑?)でも全く気にせず歩いていたのだが、汗でビショビショになった時にさすがに人目が気になったため、以来自粛している。秋になったらまた再開する予定。 今回の

肩書は丸めてポイ。いつだって「博士ではなく白紙」で

いま、大好きだった執筆の仕事を一回リセットしようかなと思っている。noteは趣味なので続けるかもしれないけれど、とりあえずライスワークであった仕事のことだ。正直怖い、でもしがみつくのも危ない気がする。 私は博士ではなく白紙だ。 タイトルのセリフは某創業者のセリフで、いたく感銘を受けたので胸に刻んだ。その心は忘れたけれど、「学があろうがなかろうが、白紙の心でいればいつだってなんだってやれる」って解釈してる。 理系の道を捨てた20代わたしは理系院卒だ。研究者になりたくて博士

パズルゲームから考える問題解決、そして人生は壮大なゲーム

貯めていた小説を全部公開してしまったので、連続更新できていたのが途絶えそう。ということで、毎日更新はそろそろ終わりそうですが、書けそうなときは日記や雑感も書いていこうと思います。 ------------ 本記事は問題解決がテーマですが、ちゃんとした話は詳しい人に譲るとして、わたしの好きなゲーム中に「これは日頃から応用できそうだ」と思った話です。 どうしてもクリアできないステージわたしはPCでやるモバゲーのシンプルゲームが好きで、いくつかハマっているうちの1つが「マッチ

映画やドラマの行く先。ヒロインになれるVR時代?

ストーリーを紡ぐための手段は小説だけじゃない。むしろ小説は表現方法が限られる中、より没入感があるのはドラマに映画、アニメといった動画、人によっては舞台も入るだろうか。しかしすでにVR全盛期となる時代も間近だ。 テーマパークや映画館でも導入され、ゲームをきっかけに家庭にも入ってきている。VR未経験&最先端には疎い私だが、小説のことを考えていたらちょっと妄想が飛躍、ついでに膨らんだので書き留めることにした。 物書き視点の近未来予測です。 「VRテレビ」になったら?今のVRは

自分の性質に名前をつけない

今は精神的傾向を表すことばがたくさんあって、都合がいい反面、自分を縛るものになりかねないな、とも感じる。自分のケースに当てはめて考えてみた。 無力だった子ども時代小さい頃から自信がなく、自分はちっぽけで何の力もないと思っていた。世の中で起こっている出来事は、全て自分には関係のないことであり、自分みたいな人間がほんの少しでも他者に影響を与えることはないと信じていた。これは家庭環境が大きかったと思う。 プラスして、元々引込み思案であり感受性も強かった。本当は前に出たい気持ちが

この広いようで狭い世界の片隅で

これは長くは続けられないな、と思っていた会社を唐突に辞めて1か月が過ぎた。仕事をやると集中しすぎ、完璧主義でこだわりすぎ、とまあまあ仕事人間なので、辞めてからやることがない。何かしたいんだけど、薄っぺらい”やりがい”だとかのために仕事をしたくない。今のところお金に不自由していないし、養う家族もない。 仕事とは、自分の好きな事やできることやって、それがなぜか社会貢献になっている、というのが理想。会社だったら、志を共有できる人が1人でもいたらいい。全ては共感できなくても、会社の

1人推理遊び ~小さなまちに馴染む小さな違和感~

近所を歩いていると、どうでもいいことだけれど気になることがたまにある。なぜこんなところにこんなモノがあるのだろう? この家にはどんな人が住んでいるのだろう? そんな疑問が沸くと、1人推理タイムの始まりはじまり。当事者に取材すればすぐに明らかになるだろうが、「某探偵○○スクープ」でもあるまいし、そこまでするはずもない。専門知識もないし、一般常識にもかけているので、トンチンカンかもしれないが、それを承知の上で自分なりの答えを導き出すのが楽しい。 ある日、いつも歩いている道でふと