【社会問題を楽しく自分ごと化するですって!?】リディラバ:SDGs/社会問題スタディツアーにファシリテーターとして参加する魅力をゴリゴリ書き連ねてみました
昨年から何度かリディラバの「SDGs/社会問題スタディツアー」にファシリテーターとして参加しています。
社会的意義という文脈はモチロンなのですが、色んな観点から「面白さ」がある取り組みだと感じていますので、僕の感じている面白さを言葉にしてみることにしました。
スタディツアーという取り組みが気になる学校関係者の方、スタディツアーがどんなものか知りたい旅行代理店の方、ファシリテーターとしての参加に興味のある方、そしてもちろん社会問題に正面から向き合っておられる企業・団体の方、すべての方に読んでもらいたいと思いながらも、まぁ超絶に主観で語り尽くす内容です。僕の深掘り系投稿って、だいたいこんな具合のノリなのでご容赦を。
いつもながら少々暑苦しいテイストになるかと思います。真冬なのでほどほどにホットでいい感じになるかな。真夏にこの記事をご覧いただく方はどうぞ薄着でご覧ください。
01.What'sリディラバのスタディツアー?
ってところを僕が説明して変なコトを言っちゃうとアレなので、詳しくはホームページを見てください。概要はコレで十分に分かっていただけると思います。
このツアーに何度かファシリテーターとして参加しました。中高生の参加者と一緒に社会問題に向き合っている企業・団体の現場を訪れ、その後に解決に向けた道筋をワークショップで生徒たちの対話と議論をサポートするような役回りです。
02.「社会問題」を「自分ごと化」するって、メチャクチャ難しい
これってよく語られますけど、めちゃくちゃ難しい建て付けですよね。
社会問題は一人一人がいかに「自分ごと」として捉えるかが重要です。一方で「自分ごととして捉えなさい」では捉えられないんです。そんな呼びかけを子どもたちに向けている大人の皆さん、あなたたち自身が自分ごととして捉えられていますか?
たとえ自分では「解決すべきだと本気で感じている社会問題」であったとしても、「自分ごと」になっているかと言えば別問題なのです。「真剣に解決すべきだと感じている他人ごと」という捉え方になっている状態も山ほどあります。この違いに意識的にならないと、いつまで経っても「自分ごと」にはなりません。
リディラバのツアーは、「自分ごと」にしていくプロセスがとても緻密に設計されていると感じています。単なる社会科見学では「自分ごと」までは至ることは難しいかもしれません。事前学習の設計、訪問する企業・団体との密なコミュニケーション、ワークショップでの対話の構造、この3つが揃っているからでしょうね。
この辺りを、事前から当日の流れなどを追いかけながら、どこに面白いポイントがあるのか紐解いてみたいと思います。
03.圧倒的な熱量で問題に向き合う当事者たちだから
事前に生徒はテーマとなる領域について事前学習をしています。まぁ、この段階では「やらされている」状態であることが普通でしょう。とは言えキッカケになる段階はやらされ作業でもいいと思っています。一定以上の知識と背景を理解していることが大切で、その知識があるからこそ現場での取っ掛かりが生まれますからね。
スタディツアー当日はまず社会問題に向き合って活動されている企業や団体の方が、実際に活動されているフィールドを訪れます。お話を伺ったり、現場を見学したり、体験できるモノがあるテーマのときには実際に体で感じてみたりします。
このあたりもフツーの社会科見学と似たようなモノだと感じますかね?、いやいや、だいぶ違うと思いますよ。
世の中の取り組みには「結果的に社会課題を解決できる」モノはたくさんあります。自分たちの事業に社会に対する継続性などを「後から持たせようと努力している活動」はたくさんあります。もちろん、そんな活動の意義を否定するつもりはありません。社会に対してはそんな活動の持つ意味もたくさんあります。
しかし、リディラバのスタディツアーの訪問先になる企業や組織は「そもそも社会課題の解決ありき」で自分たちの取り組みを作り上げています。
コレって、とんでもないことだと思うんですよね。しかも単に想いベースの活動だけであれば持続性は生まれない。ずっとその問題に向き合い続ける意志があればあるほどに「事業性」にも真っ向から向き合わざるを得ません。
並々ならぬ「想い」と、それを事業として成立させる「ビジネス感覚」が、圧倒的に突き抜けた人たちなんですよね。この双方が揃っていることを、「現場」で触れるからこそ感じ取ることができるのです。
例えば、スタディツアーで訪問している企業や組織の方に学校での講演をお願いしたら何が起こるか。きっと「リアルさ」が欠けるので、取り組みの持つ濃度が薄まって伝わってしまう。
あるいは、「結果的に社会問題を解決している人たち」の取り組み現場を訪れると何が起こるか。「問題」に対する熱量が圧倒的に異なるため、熱が伝わらずに自分ごとにはなりません。
「想い」と「ビジネス感覚」の双方を持つ人のあり方に「現場」で触れるからこそ「熱量」が伝播し「自分ごとの種」が生まれていくのだと感じています。そこがツアーのポイントですね。
ファシリテーターは基本的にツアー当日だけの役割です。その前後の調整に従事することはありません。しかし、リディラバのスタッフと訪問先とのやりとりを見る機会も多いんですよね。そこは非常に丁寧で緻密なコミュニケーションが存在します。
訪問先の持つ想いや事業の全体像、社会問題の背景を丁寧に汲み取りながら、参加する生徒たちがどんな体験をするかについて丁寧に対話を重ねていると感じています。この事前の密な対話がツアーの価値を生み出しているとも感じています。
そう簡単にマネできるものではないと思うので、もしリディラバのようなツアーを企画して売り込みたいと思っている事業者さんは本気じゃなかったら諦めてください(笑)、よしんば企画をするのであれば本気の本気で社会問題に向き合う覚悟を持って企画してください。
04.肌でダイレクトに感じる現場体験
昨年の12月にツアー参加した訪問先の取り組みとツアーの中身を紹介してみましょうか。ゴミ問題に向き合う活動を続けられているベンチャー企業様の取り組みを体験しに行った事例です。
これだけ聞くと一般的な社会貢献活動と似たような状況かと思われるかもしれませんが、リディラバのツアーの中には「社会問題の構造」「解決に向けた道筋」「当事者の思考・感情」を体験できるエッセンスが存在します。
そのベンチャー企業のご担当の方がおっしゃるには、個人が日常のなかで「ゴミ拾い」を実際に取り組むにあたって、最も大きなチカラになるのは「誰かからの感謝の気持ち」だそうです。その感謝の気持ちを可視化できるようなアプリを作られています。
さて、この「感謝の気持ち」が持つ意味を、実はアプリ上だけでなく「現場」でも生徒は体感しています。現場でのゴミ拾い中に、道ゆく人が「ありがとう」や「おおきに」と声をかけてくれていたんですよね。
実はこの言葉こそ大切であると、ゴミ拾いが終わったあとの振り返りでご担当の方がお話ししてくれていました。自分たちがリアルに体験したことと、その体験がどんな意味を持つのかがつながる瞬間だったと感じています。
実はこの日、鴨川周辺は意外とゴミが少なかったんです。おそらくは自治体から委託を受けた清掃会社さんが少し前に鴨川周辺を清掃していたのだろうと見て取れました。しかし、この状況もツアーの意味を考えるうえでは考察材料です。
自治体が清掃活動に潤沢な予算を投入できるのであれば街を一定レベルで美しく保てるでしょう。なら、潤沢な予算がない場合にはどうすればいいのでしょう。自分たちの自治体は?、他の自治体は?、と「問題の構造」そのものを知るためのヒントはツアーの中にたくさん転がっています。
目の前の人や状況から拾い取れる「社会問題の構造と構成要素」に対するセンサーを働かせながら、生徒それぞれが自分なりの感性で状況を捉えようとする。これも「自分ごと化」のステップですね。
様々な社会問題があります。そこにいる「この社会問題にコミットする」と強い意志と熱量を持った人たちの現場に触れます。しかし、どの現場にいる方も総じて前向きです。深刻に問題を捉えながらも前向きにアウトプットされていると強く感じます。だからこそ、どの体験も「楽しい」と感じる要素がたくさんあるんですよね。
「真面目」であることと「楽しい」であることは両立しないと思っている方もいるかもしれません。でもこれは突き詰めると完全に両立するモノであると感じています。そして、リディラバのツアーで訪れる企業や組織の皆さんは、そんなあり方を体現されています。だからこそ生徒たちが現場で体感する意味が大きいのです。
05.問題の構造も自分の想いも行ったり来たりのワークショップ
ツアーで得た体験を、その日のうちにワークショップを通してアウトプットします。「自分たちなりに社会問題の解決策を見出す」ことがゴールではあるのですが、ゴールそのものが重要なのではなくそのプロセスがとても大切な経験です。
細かいワークショップのプロセスは割愛しますが、その中で僕がポイントだと思うところを2点だけお伝えしましょう。詳しい話が聞きたい方はリディラバにコンタクトを取ってみてください。
一つ目は「具体と抽象の往復」です。
この日のツアーであれば「ゴミ問題」が大テーマ。体感したのは「京都の鴨川」という観光地の現状です。一見すると「自分たちの地域」とは関係する変数がまったく異なるので、体験したことをシンプルに自分たちに当てはめることが難しいと感じるかもしれません。
しかし、事前に企業さんの講演も聞いた上での体験となっているため問題の「抽象」と現場の「具体」の双方は、何となく頭に入っています。ゴミ問題の全体像という「抽象」に対して京都の観光地の現状という「具体」を体験した一本の線がさらに、自分たちの地域の現状というもう一本の「具体」と結びつきます。
この両者の「具体」を通してテーマ全体の「抽象」を見つめることで、構造全体を捉えやすくなります。また、理論だけでなく体感から捉えているので自分たちのケースに「何が当てはまるのか」「何が当てはまらないのか」を考えることもスムーズにできるようになっています。
生徒たちは意識していませんが、ワークショップの対話のなかでも自然と「自分たちの地域の現状」と「今日の現場で見た観光地の現状」と「ゴミ問題の全体像」という2つの具体・1つの抽象を往復しながら対話することができていました。この具体と抽象の往復にとても意味があります。
もう一つは「理想像の設定」です。
社会問題に限らず、「問題」を捉えるときに一番やってしまいがちなのが「理想」を設定せずに問題の解決を図ろうとするアプローチです。これ、当たり前に世の中のアチコチで見られる現象ですよね。大人であっても当たり前にやってしまいがち。
「問題の解決」は確かに必要です。でも、どの方向に問題を解決させるのかという指針が無ければ、実は前に進むことができないんです。言葉から考えてみるとよく分かりますよ。問題が解決する状態とは「ではないこと」を目指すことです。でも、「ではないこと」って実はたくさんあるんですよね。
問題意識とは現状を抜け出すエネルギーにはなりますが、一つの目標に対して向かい続けるエネルギーにはなりません。だから「ではないこと」を設定するだけではなく「であること」を設定する必要があるのです。
これは大人に聞いても当たり前に起こる現象です。「理想や夢は何ですか?」と聞いてみても「現状ではないこと」を理想や夢として語ってしまう。それは果たして本当に理想なのかい?
おそらく、社会全体で「理想を設定する」こと自体に対する慣れがないんです。だからほとんどの人が「であること」を設定できず、「ではないこと」ばかりに意識が囚われて問題解決に至れない。理想をしっかりと考えることが実はすごく大切なのです。
と、そんな「理想の設定」にワークショップの大切な要素が込められているのですが、まぁそれこそ具体的な対話のプロセスまではここでは語りませんが、僕たちが普段忘れてしまいがちな大切な要素をキッチリと押さえているワークショップだと感じています。
しかも、理想はコンフリクトします。誰かの理想と誰かの理想が対立してしまうケースも多いのです。これはワークショップでも当たり前に起こる現象です。
では、そんなときにどうやって「共通の未来像」を思い描いていくのか。大人の方がこの問題にはルールを決めるカタチで、ある意味では「見ないように蓋をしている」のかもしれません。
多数決というシンプルな方法は、意思決定のスピードは上げますよね。ただ、そこで生まれる少数派の意見は半ば無視されたような状況になる。果たして本当にその決め方でいいのか?という示唆がここに含まれています。
社会問題という「誰もが当事者」と呼べるような舞台上で、どんな対話から道筋を見出していこうとするのか、そんなエッセンスもこのワークショップから体感できるはずです。
06.総じて「楽しさ」がベースにある
と、ここまで読んでいただけた根気強い方はこのツアーの持つ意味を何となく感じ取られていると思います。ホント根気強いですね、ありがとうございます。笑
とっても真面目で、とってもカタいことをやっていると感じた方もいるかもしれません。でもね、どのツアーやワークショップに参加しても思うことは総じて体験が「楽しい」ということです。
社会問題というテーマを扱っていながら「楽しい」と感じる構造になっている。そして、楽しいからこそ前のめりになっていくし、対話も真剣になっていく。最初から一気にスタートダッシュするわけではありません。それこそ事前学習のときは「やらされている」感覚でしょう。ですが、随所に散りばめられた「真剣な楽しさ」によって、どんどんテーマが自分の中に染み込んでいきます。
問題そのものに向き合うプロセスを「楽しい」と捉えることができるようになれば、ならばどんな道筋を思い描き、実際にその道を歩んでいくのかも着実に歩んでいけるはずです。そんな「楽しさ」を感じるからこそ、僕もファシリテーターとして参加しているのです。
ファシリテーターの役割はちょっと普通のイベントやワークショップとは異なります、リディラバのツアーだからこその役割がある。自分自身が参加者の一員としてテーマの全体像を肌で感じながら、しかも生徒たちの思考と対話のサポート役になるような動き方をしていきます。
ある意味では文化人類学における「参与観察」と近しいスタンスと言えるかもしれません。しかし文化人類学者は観察と研究を目的にしますが、ファシリテーターは対話のサポート役も担います。だから学者よりも、もっと中に入っていくイメージですね。
ファシリテーターも色んな年代の方がいます。それこそ背景はバラバラ。大学生から僕よりも上の世代の方もいたりと、ホントそれぞれです。でも、この投稿をわざわざここまで読んで興味を持つ方はきっとフィットするんじゃないかな?(もし興味ある方がいれば担当までつなぎます。)
と、そんなこんな。僕の感じるスタディツアーの面白さについて語ってみました。別にリディラバの回し者ではありません。笑
でも、イイと思ったモノは全力の熱量で伝えたくなるんですよね。だから色んな方に触れてほしいなぁと思います。特に、生徒に主体的な学びを提供したいと思う学校関係の方、何か次の時代に繋がるような企画を生み出したい社会派な旅行代理店の方、社会問題の現場で熱量を持って向き合っている方、この取り組みに触れてみたいと思う一般の方、色んな人に届いてほしいな。
■お知らせ
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