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言語化したから、分かる/分からなくなる

よく分からなかったテーマを「言語化」する行為って、こんなイメージで捉えています。

言語化前は全体像がボンヤリしてよく分からない。言語化すると全体像ではなく一部分にスポットライトがあたり、その領域はクリアに見える。対してライトの当たってない領域はより暗く感じ、見えなくなっていく。

言葉にするから「分かる」が起こるんですけども、言葉にしたから「分からなくなる」も同時に生まれる。言葉にしなきゃ永遠に分からないままだけど、言葉にしたら余計に見えなくなる領域もある。

このジレンマを常に意識しながら「言葉にする」と「立ち戻ろうとする」を繰り返す感覚かなと。

ただ、立ち戻るって難しいんですよね。一度経験してしまったことを無かったことにはできない。

だから、「違う言葉にする」とか「ズラした解釈をする」とか、言語化方面の別アプローチで精一杯抵抗して、見えなくなった領域の正体を探ろうとする感覚です。

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