「自分」を主語にして表現するクセをつける
「自分」を主語にして表現するクセ付けって大事だなぁと感じています。
例えば、料理好きな人に「なんで料理が好きなんですか?」と聞いたときに「家族が喜んでくれたから」と言った表現が出てくることがあります。
コレを「喜んでくれた」と表現するか「喜んでくれたことが嬉しかった」と表現するかに意外と大きな違いがあると感じているんですよね。「主語としての自分」と「自分に生じた感情」が繋がっていることが、丁寧に言葉にすることでダイレクトに感じられると思うのです。
自分を主語にして思考するクセをつけていくと「自分が感じていること」がクリアになっていくと感じています。感情の解像度が高まっていくと、自分の中に生じる感情の小さな動きも逃さずにキャッチできるようになる。
しかも、「自分が感じていること」がクリアになっていくと、その背景にある「なぜ自分がそう感じるのか」といった感情の構成要素まで見えてくるようになります。
すると、「どんなことが楽しいのか」「何が心地よいのか」「何を避けたいのか」といったコトまで言語化しやすくなっていきます。
日本語のコミュニケーションでは主語を明示しないケースが多いです。そもそも日本語文化には主語という概念自体が無かった可能性もあるようです。言語の世界は奥深く面白い☺️
だからこそ、僕たちの思考回路にはあまり登場しない「主語」を意識してみると、自分が気づかなかったことを発見するキッカケになるのです。その一番身近なテーマが「自分」じゃないでしょうか。
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