戦役分析とは何か? 現代軍事学の研究史を辿る
戦役分析(campaign analysis)とは、戦略から作戦の次元にかけて敵と味方の部隊の配備、移動、運用を分析する方法をいいます。
具体的な基準で示すことは非常に難しいのですが、時間としては数週間から数か月を、空間では数十平方キロメートルから数百平方キロメートルを、兵力では複数の師団・旅団(あるいは諸職種連合部隊)を分析の対象とすることが多いと思います。この記事では、軍事学において戦役分析がどのように発展してきたのかを説明し、現代軍事学の研究史の一部を紹介したいと思います。
戦役分析とは
戦役分析はオペレーションズ・リサーチ、特に交戦理論に基づいて実施します(軍事学におけるオペレーションズ・リサーチの成果を概観したものとしては過去記事の数理モデルを使った作戦、戦術の運用解析を学べる『軍事ORの理論』の紹介を参照)。ただ、必ずしも数理モデルだけで実施するものとは限りません。歴史に基づく戦例の分析、地域の地理的な特性の分析、政治的、社会的、経済的な要因の分析によって、分析の前提となる定性的判断を見直すこともあり、画一的な要領に縛られた方法ではありません。
研究の始まり
研究の歴史は第二次世界大戦にまでさかのぼることができます。アメリカ軍の内部で研究、開発されたオペレーションズ・リサーチの理論をまとめたMorseとKimballの著作に『オペレーションズ・リサーチの方法(Methods of operations research)』(1951)があり、その第4章には「戦略運動学(strategical kinematics)」と題する章が置かれていますが、その構成を読むとランチェスター・モデルの理論的研究を中心に構成されていたことが伺われます。
第4章 戦略運動学
11 所要兵力(空中護衛の所要、爆雷の経費)
12 ランチェスター方程式(交戦の特性、一乗則、戦闘力、数学的な解)
13 ランチェスター方程式の確率的分析(一乗則、二乗則、事例)
14 ランチェスター方程式の一般化(損耗率、典型的な解、生産の破壊、ミニマックス原理)
15 応戦率の問題(Uボートの流れ、典型的な解)
この時点で後にちなみに、Engel(1954)が行った硫黄島の戦いの調査研究によって、ランチェスター・モデルの二乗則が実際の損耗の推移とよく一致することが報告されています。これ以降、ランチェスター・モデルをより現実に近づけるための拡張や修正が加えられ、作戦計画の立案、所要兵力の決定、人員損耗の予測などの問題に応用されるようになっていきました。
定量化が困難な要因への注目
ランチェスター・モデルの拡張も盛んに行われるようになり、その成果はTaylorの『戦争のランチェスター・モデル(Lanchester Models of Warfare)』(1983)によってまとめられています。ただ、ランチェスター・モデルに異議を唱える研究者もいました。Dupuyは『数、予測、戦争(Numbers, Prediction & War)』(1985)の中で交戦理論がモデルを構築する際に考慮に入れる要因が人員、武器、装備といった物質的要素ばかりであり、兵力の運用や訓練のような非物質的要素が無視、あるいは軽視されていると主張しました。これは測定が難しい戦闘力の要素をどのように交戦理論に取り入れることが適切なのかをめぐって大きな議論を巻き越しています。
ここでその議論のすべてを紹介することは難しいのですが、例えばBiddleは戦役分析に用いられるモデルの選択によって分析の結果が大幅に変化する問題を提起した論文を発表しています。
当時のヨーロッパは東西陣営の主戦場とされていたので、アメリカ軍を中心とする北大西洋条約機構(NATO)の部隊とソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構(WP)の部隊との軍事的能力の優劣が大きなテーマとして議論されていました。両軍の配備状況を見ればソ連軍が数的に優勢というのが定説であり、アメリカ軍は戦時に本土から増援を派遣できなければならないと議論されていました。
ただ、Biddleはソ連軍が優勢であるという判断の根拠は必ずしも盤石なものではなく、多くの面で議論の余地があると述べています(Biddle 1988: 100)。
「もし本当の安全保障を実現するために進もうとするなら、この議論の方向性を見直すことが重要である。安定性に関する重要な問題、そして通常戦争における攻撃と防御の実施には注意を払わなければならず、また厳密に議論しなければならない。自覚しないまま軍事的妥当性をめぐる非生産的議論に力を注いではならない」(Ibid.: 114)
この時期にランチェスター・モデルに適用限界があることが認識されるようになり、代替のモデルとして対数則を提案する研究や、まったく異なったモデルを提案する研究も出てきました。現在でもランチェスター・モデルは戦役分析の基本として教育され、研究されていますが、以下に述べるように運用上の要因に注意を払う必要があることは広く知られています。
兵力の運用を考慮に入れたモデルの発展
Stamの著作『勝利、敗北、あるいは引分:国内政治と戦争の試練(Win, Lose, or Draw: Domestic Politics and the Crucible of War)』(1996)は、兵力の数的な優劣以上に作戦運用の形態が戦いの結果を強く規定することを計量的アプローチに基づいて主張した研究です。
Stamの研究と同じ方向性の研究として注目すべきなのはBiddleの著作『軍事力(Military Power)』(2006)です。Biddleは兵力の比率、装備の性能以上に兵力の運用が戦いの結果を強く規定することを明らかにしました。DupuyやStamも戦闘に参加した兵力や損耗に関するデータを使った定量的分析は行っていましたが、Biddleはその弱点を補うためにシミュレーション分析を併せて実施し、少なくとも作戦の次元において機動的な兵力の運用が戦闘力の発揮にとって非常に重要な影響を及ぼすことを説明しています。
世界全体を視野に収め、数か年以上にわたって、軍事的手段と非軍事的手段の連携などを考慮に入れた安全保障上の方策を考えるならば、それはもはや戦役分析の限界を超えています。このような問題を扱うならば、それは戦役分析ではなく、ネット・アセスメント(net assessment)の範疇になるでしょう。軍事学におけるネット・アセスメントの位置づけに関しては、また別の機会に解説しようと思います。
見出し画像:U.S. Department of Defense