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変化し続けた戦闘と戦術の歴史を解説する:エンゲルス「戦闘」の翻訳と解説

戦闘(battle)とは、作戦目標を達成するため、敵と味方がそれぞれの部隊を用いて互いに争う行為、あるいはその状態をいいます。基本的に接敵機動から開始され、部隊の機動や展開が続き、火力の発揮を経て、追撃または退却によって終結します。

時代や地域によって戦闘の様相は千差万別であるため、戦闘において部隊を運用する方法、つまり戦術(tactics)もさまざまな形態に変化してきました。その歴史的変遷をコンパクトにまとめたのが、この記事で翻訳したフリードリヒ・エンゲルス(1820~1895)の「戦闘(Battle)」です。初出は1858年に出版された事典『ニュー・アメリカン・サイクロペディア』です。

エンゲルスは一般に共産主義の思想家カール・マルクス(1818~1883)の盟友として有名ですが、プロイセンで短期間の軍務を経験し、ウィーン体制の崩壊を招いた1848年革命が勃発してからは反乱軍に加わったこともあります。この反乱が失敗に終わると、国外に脱出しますが、これ以降に軍事学を学ぶようになり、軍事評論家としてさまざまな媒体に寄稿するようになりました。

執筆の経緯などについては訳者解説をご覧ください。原文には見出しがなかったものの、読みやすさを考慮し、訳者の判断で追加しました。また、必要な箇所だと思われたところに解説もつけています。

古代から19世紀までの戦闘の歴史と戦術の発達の要約を読みたいという方であれば一読する価値があるでしょう。特に19世紀の戦闘の様相に関しては、やや詳しく解説されています。

「戦闘」

フリードリヒ・エンゲルス著
武内和人訳

交戦国の主力となる軍から構成されているか、あるいは、少なくとも別々の戦場で独立して行動する2個の敵対する部隊が遭遇することを戦闘と呼ぶ。

1 古代から中世までの戦闘

火器が導入されるまでは、あらゆる戦闘の結果が本当の意味での白兵戦※によって決まっていた。ギリシア人とマケドニア人は、槍兵を密集させたファランクス(phalanx)※2を組みながら敵に突撃し、その後で剣を用いて短時間の交戦を実施することで、勝敗を決した。

※1 白兵戦 敵と味方が剣や槍などを使って至近距離で交戦する戦闘をいう。
※2 ファランクスは古代ギリシアの軍隊で用いられた密集陣形。戦場では弱点となる側面を守るために、騎兵隊を配置した。大兵力を一つの戦列にまとめることで、将校の数が少なくても部隊運用が可能になるという利点がある。ただし、その兵力を小部隊に区分し、それぞれに別々の戦術行動をとらせるような部隊運用は不可能になる。

ローマ人は3列の横陣に展開したレギオン(Legion)※3で敵を攻撃したが、これは(訳注:第1列が突撃を実施した後で)第2列で再び突撃を仕掛けることや、第3列で決定的な打撃を加える機動を行うことを可能にした。ローマ軍の戦列は、はじめに敵から10ヤードから15ヤード(14メートルから18メートル)までの位置に前進し、次に非常に重量がある投槍であるピルム(pila)※4を敵に向けて投げ、次に剣を手にして白兵戦を行った。もし第1列の前進が敵に阻止されたとしても、第2列は第1列の間を通って前進することができた。それでも敵の抵抗を圧倒できなければ、第3列が予備隊となり、敵部隊の中央を突破するか、あるいは敵部隊の左右両翼のいずれかを包囲した。

※2 ラテン語の発音に従ってレギオーとも。古代ローマが用いた戦闘陣は、ファランクスとは異なり、複数の戦列を組み合わせたものだが、時代によって具体的な構成がかなり変化している。ここでは3列の横陣を想定しているので、共和政時代の戦術を解説していると推定できる。レギオンは現代の師団のように独立した作戦能力を有する単位として理解することが可能であり、戦場においては大隊に相当するコホルス、中隊に相当するマニプルス、小隊に相当するケントゥリアに分けて部隊を運用することができた。各部隊に指揮能力を有する将校や下士官が必要になるが、戦術的な効率は向上する。
※4 武器の諸元に関しては資料によって幅がある。全長は150センチメートルから200センチメートル、重量は2キログラムから4キログラムである。訓練を積んだローマ兵が投擲するピルムは、落下時に歩兵の盾を貫通するほど大きな運動エネルギーを持っているので、密集した戦列を組んでいる歩兵にとって大きな脅威だった。

中世の間は、鉄※5の甲冑を身に着けた騎士が騎乗突撃することによって戦闘の勝敗を決しなければならなかったが、そのような戦術が通用していたのは小火器によって優位性を取り戻した歩兵と砲兵が戦場に姿を現すまでのことだった。

※5 原文では鋼、鋼鉄(steel)と記されているが、鋼は炭素の含有量が2%以下の鉄として定義されており、中世のヨーロッパでは生産技術が確立されていなかった。鋼を生産する最も基本的な方法である「るつぼ鋳鋼法」は18世紀のイギリスの技術者ベンジャミン・ハルツマン(1704~1776)によって発見されたものである。鍛えられた鉄という意味もあるため、ここでは鉄という訳語を用いた。

2 近世以降の戦闘の特徴としての射撃の重要性

この時期からは、一軍に与えられた火器の数的な優勢とその種類別の構成が戦闘の勝敗を決める主要な要因になった。

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