論文紹介 情報活動においてヒューミントが劣化することの危険性
情報活動では情報源の性質に応じて獲得した情報を区分することが一般的です。通信を傍受して得るシギント(SIGINT, Signal Intelligence)、人工衛星の写真などから導き出されるイミント(IMINT, Imagery intelligence)、地理空間に注目するジオイント(GEOINT, Geospatial Intelligence)、技術を分析するテキント(TECHINT, Technical Intelligence)、計測や痕跡を調べて獲得するマシント(Measurement and Signature Intelligence, MASINT)などがあります。ヒューミント(HUMINT, Human Intelligence)は人間を介して獲得した情報であり、外国の駐在武官から公式なルートで入手した情報だけでなく、非公然にスパイを使って入手した情報も含まれます。
ヒューミントには長い歴史があり、それが基本的な重要性を持つことはよく知られていますが、近年では他の手段が重視されるようになっており、相対的に地位を低下させてきました。特に冷戦後のアメリカの情報コミュニティで、この傾向が顕著になっていると指摘されています。次の論文では、ヒューミントの重要性を見直し、他の手段で得た情報をヒューミントと重ね合わせることを怠れば、情報活動の信頼性を損なう結果になると警告を発しています。
Margolis, G. (2013). The lack of HUMINT: A recurring intelligence problem. Global Security Studies, 4(2), 43-60.
近年のアメリカの中央情報局(Central Intelligence Agency, CIA)の情報活動では新しい情報収集の方法が受け入れられるようになっており、その業務の内容にも変化が生じています。特に重要な変化が無人航空機(Unmanned Aerial Vehicle, UAV)の導入であり、その性能が向上するにつれて、遠隔地の状況を映像でリアルタイムで監視することが容易になってきました。そのため、ヒューミントの重要性は相対的に低下しつつあり、その内容にも注意が払われなくなってきています。
もともとヒューミントには時間と労力がかかっていたことも、この傾向を助長していると著者は指摘しています。ヒューミントを獲得するために必要とされるのは、外国語の技能と対象国の文化に対する深い理解を持った人材です。これは外交官としての地位を与えられて入国する場合でも、非公然の情報活動を行うために入国する場合でも同じです。現地の生活に溶け込み、長期にわたって社会的なネットワークを構築し、潜在的な協力者から絶対の信頼を獲得できるだけのコミュニケーション能力を持っていなければなりません。つまり、組織にとってヒューミントを担当する要員の選抜と養成のコストは大きな負担であり、運用に投入できるまでには数年の訓練を要することが普通です。英語が母語話者である場合、言語的な距離が大きい日本語と中国語の教育コストは特に大きく、2年にわたる教育訓練を経ても勤務に必要な水準に達しないことも珍しくありません。
このため、アメリカの情報機関の文化として、シギント、マシント、ジオイントが重視される傾向にありました。これらの情報も重要ですが、著者はヒューミントと組み合わせなければ、これらの情報を活用することも難しくなることを指摘しています。その欠陥が露呈した事件の一つとして、著者は1961年4月のピッグス湾事件を挙げています。当時、アメリカの中央情報局は1959年のキューバ革命で政権を掌握したフィデル・カストロを打倒するため、亡命したキューバ人で戦闘部隊を編成し、キューバに上陸させました。この作戦は軍事的にも問題が多かったため、すぐに捕捉撃破されてしまいました。しかし、問題は軍事だけではなく、その後の調査で中央情報局が確保していた数十名のキューバ人の情報員のほとんどが二重スパイであったことが分かっており、信頼できる情報員は逮捕され、投獄されていたか、あるいは処刑されていました。このことから、中央情報局の局員だったジョーンズ(Ishmael Jones)は、ピッグス湾事件におけるアメリカの失敗はヒューミントの失敗であったと評価しています。
この翌年の1962年にキューバ危機が起きていますが、このときにはヒューミントが重要な役割を果たしました。キューバ危機が起きるきっかけとなったのは、アメリカ軍の偵察機U-2がキューバでソ連軍が核ミサイルを配備していることを裏付ける写真を入手したことでした。このイミントはアメリカの政府関係者に衝撃を与えることになり、米ソ関係に強い緊張状態をもたらすことになり、核戦争の勃発さえ真剣に懸念される事態となりました。核兵器で先制攻撃を受ける危険が出てきた以上、一刻も早くアメリカからキューバを攻撃し、脅威を排除すべきという意見もありましたが、それはソ連の軍事的な報復を引き起こす恐れがありました。このような状況でソ連軍人オレグ・ペンコフスキーがもたらした情報はアメリカ政府の意思決定に大きな影響を及ぼしました。
ペンコフスキーはアメリカとイギリスの情報機関が共有していた人的情報源であり、イギリス人のビジネスマンだったグレヴィル・ウィンを通じて西側に数多くの軍事情報を密かに提供していました。ペンコフスキーから入手できたヒューミントには、ソ連軍の核戦力が見かけよりも劣悪な状態にあり、それが使用できる状態に移行するまでには時間を要することを掴んでいたので、キューバ危機が発生したときにも直ちに軍事行動に移ることは思いとどまり、外交的な解決を模索する時間をとることを選択していました。著者は、もしペンコフスキーのヒューミントを利用することができなかった場合、アメリカはソ連から直ちに核攻撃を受ける危険があることを必要以上に恐れなければならず、そのため軍事的手段をとることを急いだ恐れがあるとして、ヒューミントが核戦争の回避に寄与した面があることを指摘しています。
著者は科学技術が進歩し、新たな情報源の重要性が増してきたとしても、伝統的なヒューミントの価値を無視するようなことになれば、それは深刻な情報の失敗を招く恐れがあると主張しています。ヒューミントでしか知り得ないことがあることを考慮すれば、無人航空機からもたらされるイミントだけに頼ることには限界があることを知り、ヒューミントとの照合によって情報を改善するように努力すべきです。
例えば、遠隔で操縦される無人航空機は有人航空機に比べて低速でしか飛行できません。このため、防空システムの脅威に晒されやすく、また信号の送受信に使用する電波はジャミングに対して脆弱です。無人航空機は情報収集の手段だけでなく、アフガニスタンやパキスタンで武装勢力のネットワークに対する精密打撃にも使用されてきました。このような作戦では、特定の幹部の所在を特定するためにヒューミントが必要になる場合が多くあります。著者は、国際テロリスト・ネットワークではアメリカにシギントを渡さないために通信手段の使用を厳格に制限する傾向があるため、その動向を探るためにはヒューミントが必要になると述べています。貧弱なヒューミントでこのような打撃を行った場合、巻き添えになる無関係な民間人が増加するリスクがあります。このような犠牲者が増えた地域においては、アメリカに対する反発が高まるため、現地で協力者を募り、情報の提供を呼び掛けることは極めて難しくなるため、ますますヒューミントが劣化することになります。
ちなみに、アメリカの中央情報局において、ヒューミントの獲得に適した人材が不足していることは冷戦時代にも指摘されたことがあり、政治学者のロバート・ジャーヴィスが教育や人事のあり方を見直すべきだと論文の中で批判したこともありました(論文紹介 冷戦期の米国でCIAの情報活動の質の悪さを指摘した研究者の批判)。アメリカの情報機関がテクノロジーに頼った情報活動を行う傾向にあるために、ヒューミントの重要性を指摘する議論が繰り返されるのだろうと思います。