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メモ 技術が戦闘に与える影響を適切に分析することの重要性

以前、プロイセン陸軍の参謀総長を務めたヘルムート・フォン・モルトケが、19世紀の火器の性能向上を踏まえ、正面攻撃は実行不可能になったと考え、戦場でいかに包囲機動を成功させるべきかを考えることが必要だと論じたことを紹介しました(メモ 19世紀の武器の発達を受けて、モルトケが縦深配備を重視した戦術的理由)。1894年にフランスの陸軍大学校で教官に補任され、後に校長も務めたフェルディナン・フォッシュは、火器の発達に対してモルトケとは反対の認識を持っていたのですが、その根拠を調べると軍事技術の戦闘への効果を適切に評価することの難しさが見えてきます。

フェルディナン・フォッシュ(1851-1929)
フランス陸軍軍人、第一次世界大戦で連合国軍総司令官を務めた。

フォッシュの著作『戦争の原則』(原著1903年)は当時としては高い評価を受けた業績でしたが、その戦術に関する議論を調べてみると、あらゆる火器の発達は、結局のところ防者より攻者に対して優位をもたらすことになると主張していたことが読み取れます。第1章第3節「近代戦争の誕生」を見ると、フォッシュは火器の改良によって攻撃は「根本的に不可能」となるので、「攻撃を避けて」、敵陣地を迂回するに至るという見解を取り上げた上で、戦史を研究すれば「結論は先と反対になる」と主張しています(邦訳、19頁)。

その根拠としてフォッシュは、抽象的な戦闘モデルを設定しています。その妥当性について論評することは後にして、まずその内容を示すことにします(以下、邦訳、20頁より)。まず、フォッシュは射撃速度が毎分1発の小銃を装備している1,000の防御部隊に対して、同等の装備を有する2,000の攻撃部隊が攻撃前進を実施する場面を想定します。この場合、攻撃部隊と防御部隊が銃撃戦を行うと、数的に優勢な攻撃部隊は毎分1,000発ほど火力で優勢です。この優勢をさらに確かなものにしたければ、攻撃部隊の規模をさらに拡大すれば良いでしょう。しかし、もし双方の火器の性能が向上し、射撃速度が毎分1発から毎分10発に改良された場合、攻撃部隊はその規模が1000名のままだとしても、防御部隊に対して毎分10,000発の射弾を送り込むことが可能となるので、「攻撃の利を著しく増大する」とフォッシュは結論付けています。ここには奇妙な推論が含まれています。

現代の軍事学でもオペレーションズ・リサーチの方法として戦闘の損耗過程を数理モデルによって解析することがあります。つまり、フォッシュが両軍の交戦を火力を中心に単純化することで、技術革新の効果を評価しようとした意図は理解できます。しかし、このモデルの最大の問題は、攻撃部隊と防御部隊で射撃の正確さに大きな違いが生じることを考慮していないということであり、そのために結論が実態から乖離したものになっていることです。

戦闘をモデル化する場合、研究者はそれぞれの射手の射撃行動の特性をよく知っておく必要があります。射手は射撃の姿勢をとり、目標を照準し、そして撃発するという動作を繰り返すことで交戦します。これらの個別の動作をとると数秒程度の時間が費やされます。もし同じ姿勢で射撃が継続できるなら、その後は射撃姿勢をとり直す必要がないため、そのまま別の目標を照準し、撃発することができます。防御部隊の射手は陣地にとどまって射撃を繰り返すことができるので、弾倉交換を除けば頻繁に射撃姿勢を変える必要はありません。それだけ射手は目標を照準することに時間と労力を費やし、敵に多くの射弾を放つことができます。攻撃部隊の射手はそうではありません。攻撃部隊の射手は前進しながら射撃を実施することになります。前進の仕方にもよりますが、事前に準備した陣地によることはできないので、地形や状況に応じて移動し、そのたびに射撃姿勢をとり直す必要があります。こうした事情から攻撃部隊の射手は射撃の正確さで敵にどうしても劣ると考えられます。

イギリスの元軍人であり、軍事著述家でもあったフラーは、このフォッシュの戦闘モデルの妥当性を酷評しています。「論理的人間がいかに非論理的な理論にとりつかれやすいかを示す一例」、「計数的たわごと」と彼は述べています(邦訳、フラー、179頁)。彼は防御部隊の射手が防御陣地に依拠して伏射ちの姿勢であることを考え、攻撃部隊の2000名のうちの8分の1、つまり250名の射手しか射撃目標を正確に捉えることができないと想定すべきだとフラーは提案しています(同上)。この想定を追加して計算すると、毎分10発の射撃速度の小火器が使用されたとしても、攻撃部隊が敵に送り込む射弾は毎分2500発であり、これに対する1000名の防御部隊は毎分10000発の射撃が可能となるので、火力優勢は防御部隊にあると分かります。

フラーの分析でも、射手の射距離が戦闘間に変化することによって、射手の命中確率が変化していくことが考慮されていないので、まったく問題がないというわけではありません。しかし、防御部隊と攻撃部隊が銃撃戦を行う場合、なぜ攻撃部隊に火力支援が必要であるのか、なぜ防御部隊の射撃を砲迫火力で制圧しなければならないのかは理解できる分析になっていると思います。19世紀以来、攻撃部隊が防御部隊に対して3倍の兵力を必要とするという議論が繰り返されていますが、これも攻撃部隊が抱える火力の劣勢に対する認識から出てきたものと解釈することができるでしょう。

オペレーションズ・リサーチの方法で戦闘を分析する場合、戦術行動の結果を分析する目的で、単純化された数理的モデルを使うこと自体は一般に行われています。そのため、フォッシュの論の進め方は最初から間違っていたわけではありません。問題は、フラーが指摘したように、戦闘の過程に重大な影響を及ぼす要因を軽視してしまったことであり、ある現象を適切に抽象化することができていなかったことにあります。後知恵で考えれば、このような技術評価は間違っていることは簡単に分かるはずだと思いがちですが、当時のフランスでは新技術の軍事的効果に関する経験が限られており、オペレーションズ・リサーチの理論的研究も十分に確立されていない状況だったことを考慮しなければなりません。フラーは第一次世界大戦の洗礼を受けて近代的火力の凄まじさを身をもって経験した後で、フォッシュの議論を批判しています。

ちなみに、第二次世界大戦以降に現地分析(field analysis)と呼ばれるプログラムが導入され、オペレーションズ・リサーチの研究者で編成された解析班を実際に戦闘が起きている地域に派遣した理由の一つは、こうした問題が認識されていたためです。研究者を現地勤務させ、実態を詳細に把握させることによって、より質の高い分析を行わせることが可能になります。

参考文献

フォッシュ『戦争論 戦争の原則とその指導』伊奈重誠訳、陸軍画報社、1938年
J・F・C・フラー『フラー制限戦争指導論』中村好寿訳、原書房、1975年

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