論文紹介 空爆で戦禍を被った地域の有権者は政権支持を弱める
これまでのエアパワーの戦略研究は、その効果を戦時に限定して考える傾向がありました。つまり、戦時における作戦の遂行を容易にし、より効率的に敵を撃破することができる度合いによってエアパワーの効果を見てきたのです。このような視点も有意義ですが、エアパワーの猛威に晒された人々の意識、態度、行動がどのように変化しているのかを考えるためには、その視野を戦後にまで広げる必要があります。Milos Popovic氏は、権威主義体制の下で暮らす人々が敵の空爆に晒された場合、戦後にその投票行動をどのように変化させるのかを調査し、興味深い研究成果をまとめました。
イタリアの軍人だったジュリオ・ドゥーエは、航空戦略の専門家として戦略爆撃の理論構築に貢献した人物です。彼の学説の前提に置かれていたのは、民間人が空爆に晒されると、恐慌状態に陥り、その戦意を喪失してしまい、政府に即時停戦を要求する政治的運動が起こるはずであるという考え方でした。空爆の恐怖に突き動かされた民衆は蜂起し、現政権をたちまち打倒してしまうため、航空戦力で劣後する交戦国は事実上、戦争を遂行することができなくなると考えられます。しかし、この学説に対して現在では数多くの批判が加えられており、特に第二次世界大戦の経験から空爆に晒された住民は強く結束し、戦禍を被りながらも働き続けることが裏付けられました。
ただし、空爆に晒された国民が結束を保つことができる期間には限度があることも指摘されています。民主主義国の下で暮らす個人は戦争の被害に敏感に反応し、それを政治的態度へと反映させていきます。これは権威主義国の個人にも当てはまることも指摘されておりお、有権者は指導者が戦争遂行で何らかの失敗を犯したと認知した場合、指導者に対する評価を急激に下方修正し、与党から野党に対する支持を変化させる傾向があります。指導者の過去の業績を評価して投票先を選択する投票行動のことを、政治学では回顧投票(retrospective voting)といいますが、著者はこの投票行動のモデルは空爆の政治的影響を考える上でも有用であると考察しています。
空爆が有権者の回顧投票をどのように変えるのかを検討するため、著者はセルビアに対する空爆を実施したアライド・フォース作戦の事例分析を行いました。アライド・フォース作戦は1999年3月24日から同年6月10日まで続けられた航空作戦です。ソビエト連邦が解体され、東西冷戦が終結したことを背景として、バルカン半島のユーゴスラビアでも体制が動揺し、1991年には各地で武力紛争が始まりました(ユーゴスラビア紛争)。この武力紛争の一部だったのがユーゴスラビアとコソボの反乱組織との間で発生したコソボ紛争(1998~1999)であり、外交的な解決の見通しが立たなくなると、1999年3月にアメリカは北大西洋条約機構(NATO)の加盟国と共にコソボの側に味方して参戦しました。アライド・フォース作戦は、こうした経緯でNATOがユーゴスラビアに対して実施した航空作戦であり、ユーゴスラビアの軍隊だけでなく、工業地帯、交通施設、通信施設、政府機関が攻撃目標となりました。この作戦の結果、ユーゴスラビアは経済的に大きな損失を出しています。当時、ユーゴスラビアのスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領は、NATOの航空戦力に対抗する上で十分な防空戦力を保有しておらず、国民は長期間の停電、家計収入の減少、そして急激なインフレーションに見舞われました。この影響を詳しく分析するため、著者は1,000件を超える空爆のデータを細かく調査し、一回の爆撃ごとに時期、場所、目標類型、犠牲者数をコード化しました。必ずしもすべての空爆を網羅できているわけではありませんが、これは1999年のユーゴスラビアに対する空爆の状況をかなりの割合で把握することができます。
これに加えて著者はユーゴスラビアの有権者の投票行動のデータを参照しています。当時のユーゴスラビアの政治体制は非民主的な要素が強く、野党が与党に対して不利な立場に置かれ、選挙が妨害されており、競争的な選挙が実施できていませんでした。ただ、1990年から2000年にかけてユーゴスラビアでは国政と地方の両方で選挙が実施されているため、著者は地方自治体ごとに集計したデータを使い、ミロシェヴィッチ大統領と彼が率いるセルビア社会党がどれほど得票していたのかを分析しています。ユーゴスラビアは複数政党制を採用していましたが、セルビア社会党とセルビア急進党と提携し、ミロシェヴィッチ政権を支えていました。これら与党に対する有権者の投票行動を予測する回帰モデルを構築し、それによって空爆の影響を推計しています。
著者の分析結果から分かったのは、空爆によって与党の支持者が選挙に参加する割合が減少していることです。つまり、空爆で被害が発生し、経済的な困難に直面した地域では、ミロシェヴィッチ政権の支持基盤が縮小しやすくなった可能性があります。「2000年の選挙におけるミロシェヴィッチ派の得票率の中央値をとると、爆撃を受けた地方自治体では37%であり、これに対して野党は40%であった。爆撃を受けていない地方自治体ではミロシェヴィッチ派が41%であるのに対して野党は34%であった」と著者は見積もっています。こうした数値を踏まえ、著者は空爆がなければ、このような地域差はより縮まっていた可能性があり、それだけミロシェヴィッチ政権にとって有利な選挙結果が得られたかもしれないと述べています。
この研究の議論は単一事例分析に基づいているので、これだけでは空爆の効果について断定的に議論することはできませんが、著者の推論は空爆の政治的な効果を明らかにする上で参考になるものだと思います。著者が回顧投票のモデルに基づいて推論したように、有権者が現政権の過去の業績を踏まえて、例えばインフレーションや家計所得の変化などの手がかりを使い、政権支持態度を変化させるのであれば、空爆の被害地域で有権者の与党支持への態度が弱まると考えることは理にかなっているように思えます。その効果が戦後も長く持続するのであれば、戦禍を被った選挙区の政治状況に不可逆的な影響を及ぼすことも考えられます。
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