論文紹介 なぜ中国の集団指導制は習近平の個人独裁化を防げなかったのか?
1976年、それまで中国政治で強大な権力を独占してきた毛沢東が死去すると、中国共産党では個人独裁制の復活を防ぐための政治制度が編み出されてきました。特に重要な制度は任期制や定年制の導入、党内で幹部が集まって開催する会議の定例化による集団指導制の確立、そして党から政府に権限を委譲したことでした。
こうした中国の政治制度は最高指導者の権力を抑制する上で何十年も機能していましたが、習近平体制の下で次第に弱体化しており、個人独裁化が進んでいます。カリフォルニア大学のSusan L. Shirk氏は中国の政治制度が習近平の個人独裁化を阻止できなかった理由を政治制度論の視点で考察しました。
Shirk, S. L. (2018). The Return to Personalistic Rule. Journal of Democracy, 29(2), 22–36. https://journalofdemocracy.org/articles/china-in-xis-new-era-the-return-to-personalistic-rule/
2012年に総書記に就任してから習近平は強固な権力基盤を確立しており、政府に対する党の統制も確固としたものになっています。これを可能にしているのは、習近平体制における党幹部の統制であると著者は考えています。最初の任期で習近平は党中央規律検査委員会を通じ、党内の腐敗を厳しく取締り、2017年後半までに140万人の党員を処罰しました。その対象者には党中央委員会の委員17人、補欠委員17人が含まれており、統制が党中央にまで及んでいることが注目されます。党中央委員会から選出され、実質的に党の最高指導機関である党中央政治局の局員だった2人も処罰の対象者に含まれており、軍人に至っては100名以上が処罰されています。
2018年に設立された国家監察委員会は党員だけに対象を限定しておらず、あらゆる公務員を取締りの対象としました。2018年に習近平は常に党に忠実であることを求めており、党の中核である自身に対して忠誠を誓うことを要求するようになっています。思想の統制も強化されており、2013年以降に普遍主義、報道の自由、司法の独立、市民社会、公民権、党の歴史的な過ち、エリートの間の縁故主義についてメディアと教室で取り上げることは禁止されました。これは党内だけでなく、国内において指導部を批判することを封じる効果がありました。
2016年には、中国の主要メディアである新華社、人民日報、中国中央電視台の記者に対しても忠誠を誓わせており、党に対する人民の信頼を再構築するような報道を行うことが要求されています。近年、中国のメディアは習近平を毛沢東や鄧小平と並ぶ指導者として賞賛するようになり、習近平はカリスマ的な指導者として位置づけられるようになっています。
著者が注目しているのは、2017年10月18日から10月24日にかけて開催された第19回全国代表大会における決定です。この大会の経過を調べると、中国の集団指導制が個人独裁制を防止する上でまったく無力であったわけでもないことが伺われると著者は評価しています。習近平は自らが主宰する党中央書記処の権力をあからさまに拡大することは避け、7人から構成される政治局常務委員会が権力を維持することを許容しています。政治局の局員人事についても慣例に従って決定されており、習近平が派閥間の均衡を保つという前例を踏襲せざるを得なかったことが見て取れます。
ただし、限界もありました。習近平は党の最高規範である党規を修正し、そこに「習近平思想」を盛り込むことを全会一致で承認させました。これにより習近平に対して批判を加えることは、党を批判することと同じ意味合いを持つようになり、異議申し立てを行うことの危険性は大きく増大しました。さらに注目すべきは、習近平がこの大会で後継者となるべき幹部を指導部に入れなかったことです。それまでは最高指導者の在任期間が3期を超えてはならないとされていたので、本来なら習近平が2期目に入る段階で若手を指導部に入れ、自身の後を引き継がせる準備を始めるべきでしたが、習近平はこの手続きをとりませんでした。
習近平政権の個人独裁化を許した要因については、さまざまな考え方があり得ますが、著者は6種類に区分できると主張しています。
第一に、中国では定年制度、そして任期の制限に関する規則が明文化されていませんでした。それは政争の道具として操作されることがあり、曖昧なまま残されていました。1997年に江沢民は政治局の定年を70歳とし、自身は例外とすることで、中央委員だった喬石を引退に追い込んだことがありました。2002年から定年は68歳になりましたが、その規則は党規で明確に定められないままでした。
第二に、政界を引退した後で強い影響力を保持する元最高指導者が減少していることを著者は挙げています。引退した元最高指導者は、現役の最高指導者にとって手強い存在であり、特に人事に干渉することで派閥間のバランスを形成する場合が少なくありませんでした。しかし、習近平の個人独裁化に歯止めをかけることができる元指導者は高齢化しており、政治活動から退きつつあります。著者は江沢民が高齢であること(2022年に死去)、胡錦涛が政治的に控え目な人物であり、現役の指導者の邪魔をしないと評価しています。
第三に、1989年の天安門事件で体制転覆のリスクを認識したことにより、党の権力を強化する取り組みが推進されてきたことが要因として挙げられています。当時、民主化を求める学生が中心となって大規模な抗議運動が組織されました。最高指導者の鄧小平はこの動きを武力で鎮圧することを決定し、軍隊が投入されました。それまでの中国では、党から国務院へ権限を移す動きがありましたが、この事件が起きてからは党の権力を強化する動きに逆転しました。このことも、習近平の個人独裁を容易にした一因だと著者は論じています。
第四に、中国の権力構造として党に対抗できる存在がないことが挙げられています。中国は権力分立の仕組みが脆弱であり、党の決定を外部から阻止できる権力機構がありません。全国人民代表大会は、中国の議会として位置づけることができますが、それは必ずしも党の統制から離れて行動が可能な自律的な国家機関ではありません。最高裁判所に相当する最高人民法院の独立も保証されておらず、裁判官は党によって任命されています。
第五に、党の権威が曖昧であるということも重要な要因と指摘されています。党の外部にその行動を抑制できる権力機構がないため、その行動を左右できるのは党の内部に存在する機関だけです。この役割を担っているのは、党の中央委員会ですが、最高指導者の権限は中央委員会の人事に及ぶため、中央委員会が最高指導者の政治的意思決定を抑制できる制度的な保証はありません。
中央委員会の構成は1997年からほぼ一定となっており、地方政府から45%、中央政府から25%、党中央から18%、軍隊から10%ほどとなっています。中央委員会において地方政治家の割合がかなり高いことは、中央が地方に対して不利益になる政策を押し付けることを難しくしてきました。ただ、中央委員会では会議を開催する頻度が低いこと、本会議しか行われておらず、専門的、実質的な審議を担う委員会制度が発達していないことから、権力を行使することが極めて難しい設計になっていることが指摘されています。このような非効率的な議事規則は少数の幹部が実質的な意思決定を主導することを容易にしています。
第六に、集団指導制それ自体に問題があったことを著者は述べています。集団指導制は特定の個人による恣意的な決定を防止するため、権力を可能な限り共有することを目指していました。しかし、これは政策の調整に必要な交渉を増加させることに繋がり、自身の決定権を取引の道具とするログローリング(票取引)が広がり、これが腐敗の温床になりました。中国では、政治的リーダーシップが制度的に分裂し続けることの弊害が広く認識されていたので、2012年に習近平が個人独裁化に向けて動き始めた際には、新たに強いリーダーシップを発揮できる最高指導者の登場を歓迎する人々がいました。
著者は、習近平が個人独裁化を推進すれば、党の内部で多くの敵を作り出しており、その統制をますます強化すると予測されています。今や地方の政治家は党中央の厳格な規律に服従しなければなりません。習近平体制の下で中国は東シナ海、南シナ海、台湾海峡などで軍事活動を強化していることも見過ごせません。著者は中国の政治でこうした行動が今後さらに加速するリスクがあることを指摘しています。
2023年現在、習近平の権力はさらに強化されていることを踏まえれば、著者の見通しは基本的に妥当なものであったといえるでしょう。2022年に習近平は異例の3期目に入り、将来においても最高指導者としての地位を独占し続ける事態が現実味を帯びてきました。これから対中政策を議論する場合、こうした中国政治の制度的変化を考慮することが欠かせません。最高指導者が絶対的な権力を持ち、国内で意義を唱える集団がいなくなると、政治的、経済的な自由は損なわれ、対外的にも好戦的になる危険があるためです。
見出し画像:Wikimedia Commons
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