メモ なぜスーダンとエチオピアの関係に注意を払うべきなのか?
2023年4月現在、東アフリカのスーダンでは政府軍と即応支援部隊の内戦が展開されているところですが、この事象が引き起こす地政学的リスクを考える上で見過ごせないのがエチオピアの動向です。エチオピアとスーダンとの間には複雑な対立関係があり、特に国境地帯では絶えず軍事的な衝突のリスクがあるためです。
2000年にエリトリアとの大規模な戦争(エリトリア・エチオピア戦争)が終結して以降、エチオピアの安全保障環境はかなり安定していました。しかし、スーダンとエリトリアとの国境を接するエチオピア北東部の自治体であるティグレ州で内戦が起きたことにより、急激に安全保障環境が不安定化するようになりました。
エチオピアで中央集権を強化していた首相のアビィ・アハメド(Abiy Ahmed)の姿勢に対し、ティグレ州の知事を務めるデブレツィオン・ゲブレミカエル(Debretsion Gebremichael)は激しく抵抗する姿勢をとりました。ゲブレミカエル知事は自らが議長を務めるティグレ人民解放戦線が軍事的に動員されたために、アビィ首相も治安回復のためにエチオピア軍を出動させ、2020年11月にはティグレ州の支配権をめぐる内戦が始まりました(ティグレ紛争)。
当初、エチオピア軍の部隊はティグレ州の州都であるメケルを占領することに成功しましたが、敵主力を捕捉するに至りませんでした。ティグレ州の山間部ではゲリラ戦が続き、エチオピア軍は次第に消耗していきました。1年にわたって続いたゲリラ戦の末にエチオピア軍はティグレ州から部隊を南へ退却させましたが、この際には激しい追撃を受けました。敵が首都アディスアベバに進撃する動きを見せたことから、11月にアビィ首相が自ら前線に赴いて作戦の指揮をとり、戦局を立て直さなければなりませんでした。このとき、エチオピア軍の態勢を立て直すことができたのは、エリトリア軍が参戦し、北からティグレ州に脅威を及ぼしたことも関連しています。アビィ首相は2022年9月にアフリカ連合の仲介で停戦に向けた交渉を開始し、10月に合意をまとめ、内戦を終結させました。
アビィ首相がこの内戦の終結を急いだのは、内戦に乗じて隣国のスーダンが領土に脅威を及ぼしてきたためでした。もともとエチオピアとスーダンとの間には複雑な歴史的背景がある領土問題が存在しており、北東部の国境地帯に位置するアル・ファシュカ(Al Fushqa/Al Fashaga)の支配権をめぐって対立が続いてきました。2020年にティグレ州で内戦が始まったとき、スーダンは自国の国境警備を行っていたスーダン軍の軍人が殺害されたことを発表し、その責任がエチオピアの側にあると一方的に非難しました。間もなくスーダンはアル・ファシュカに部隊を進駐させ、現地に居住していたエチオピア人から農地を強制的に収用し、追放し始めました。エチオピアはこうしたスーダンの行為を厳しく非難しています。
ちなみに、この事件に関連してエチオピアは第三国の関与があったとしています。具体的な関与があったのかどうかは定かではありませんが、エチオピアは独自の情報に基づき、エジプトの動きを警戒しているようです。2019年にスーダンでアル=バシール政権がスーダン軍のクーデターで崩壊して以降、スーダンとエジプトの関係は次第に強化されていることは確認できます。武器産業での協力や空軍の共同演習などが2020年に実現しました。エチオピアは、2021年7月にスーダンを流れる青ナイル川の水源を支配する内陸国の地位を利用し、大エチオピア再生ダムの放出を停止する措置をとりました。この結果、青ナイル川の水位が低下し、下流域のスーダンとエジプトの農業生産にとって打撃となりました。こうした状況でエチオピアとスーダンの関係は悪化し続けており、2022年にはスーダンからティグレ州に武器の航空輸送を試みたとして、航空機をエチオピア空軍が撃墜する事件がありました。この事件に関してスーダンは一切の関与を否定しています。
現在進行中のスーダン情勢を理解するためには、国内政治の視点だけでなく、国際政治の視点を持っておくことが重要であると思います。そうすれば、スーダンで起きている戦いを局地戦の範囲に抑制することが国際社会として重要な課題であること、その影響を周辺国に波及させないために、積極的な関与が必要であることが具体的に理解できるようになると思います。
参考文献
Shay, Shaul. (2022). Ethiopia: Conflicts in Three Frontlines, Security Science Journal, Vol. 3, No. 1. https://doi.org/10.37458/ssj.3.1.6