論文紹介 戦略の研究でワーデンはどのように重心分析の考え方を変えたのか?
19世紀のプロイセン軍人クラウゼヴィッツの研究では、戦いにおける力とその運動の中心として重心という概念が定義されており、それを分析に用いることで、どの方向に向かって戦闘力を運用すべきかを判断することができると考えられていました(軍事学で重心は何を意味するのか?)。重心分析は現代の軍事学の議論にも取り入れられており、例えばアメリカの空軍軍人ジョン・ワーデンが航空戦略の研究で重心の概念を参照しています。
ワーデンの説明によれば、指揮官の最も重要な責務は、戦いにおいて敵の重心を正しく判断し、それを適切な手段で攻撃することに他なりません。もし敵の真の重心を攻撃することが難しい場合であっても、代替的な重心を探し出すことが必要です。ワーデンはこの問題を解決するためには、敵を一つのシステムとして捉えることが重要であると論じました。
Warden, John A., III. 1995. The Enemy As a System. Airpower Journal. 9(1): 40-55.
こちらの論文によれば、ワーデンの理論は、あらゆる組織体が異なる構成要素を組み合わせたシステムとして分析可能だという前提に立っています。ここで述べている組織体は国家に限定されていません。犯罪組織、テロリスト集団など、あらゆる組織体に適用することができる、とされています。
システムの中で中枢に近い要素を攻撃するほど、組織全体に与える波及効果は大きくなるというのがワーデンの基本的な考え方です。また彼は、あらゆる組織体は5種類の要素の組み合わせとして分析できるとも主張していました。論文で掲載された概念図に次のようなものがあります。
まず、組織の中枢にはその活動全般に一定の方向性を与える(1)リーダーシップ(leadership)という構成要素があります。国家を例にとると、政府とその通信網がリーダーシップの要素に対応しており、犯罪組織にとっては指導者とその通信網が対応しています。
リーダーシップの周縁に位置づけられるのが(2)有機的必需品(organic essentials)であり、これはエネルギーの消費に必要な資源(電力、石油、食料)や通貨を意味しています。犯罪組織であれば営利活動を行うために必要な違法薬物などがこれに該当するでしょう。ちなみに、有機的必需品という表現は馴染まなかったようで、この要素をプロセスと言い換える文献もあります。
必需品よりもさらに周縁的な位置にあるのが(3)インフラです。国家にとってのインフラは道路、飛行場、工場設備であり、犯罪組織にとっては物資の輸送に用いる陸路、海路、空路が対応しています。インフラよりもさらに周縁的な要素が(4)人口であり、これは国家にとっての国民や、犯罪組織にとっては違法薬物の栽培、加工、分配に関わる人々のことを指しています。
最後の要素が(5)交戦機構(fighting machanism)であり、国家にとって軍隊や警察がここに含まれています。犯罪組織であれば、この要素は市街地で抗争を遂行するメンバーを意味することになるでしょう。ちなみに、この用語もあまり馴染まなかったようで、エージェントという用語が使われることもあります。
ワーデンは以上の要素を「ファイブ・リング」と称し、(1)のリングから(5)のリングになるにしたがって、攻撃目標としての価値が低下していくと説明していました。(1)はあらゆる組織体の真の重心であり、そこに決定的な打撃を加えることができれば、組織体のあらゆる部分に影響を及ぼすことが期待できます。しかし、政治的、外交的な理由でこの重心を打撃することが許されていない場合、可能な限り(1)に近い要素を代替的な重心と見なし、そこに打撃を加える作戦を遂行する必要があります。ただ、ワーデンは特定のリングに対する攻撃だけに頼ることの限界も認識しており、それぞれのリングに対して並行して攻撃を加える必要があるとも論じていました。
軍事理論として興味深いのは、敵の軍隊を叩くことが最も波及効果が乏しい行為であると説明されていることです。戦略的観点から見れば、敵の軍隊を撃滅するよりも、国民の経済活動を妨害し、交通機関の利用を阻止し、食料の供給やエネルギーの調達を封じる方がはるかに大きな効果を上げることが期待できるのです。
ちなみに、ワーデンが提案した重心分析のモデルは航空戦略の研究を通じて提出されたものであり、複数のそこから導き出される洞察は必ずしも航空戦略の分野に限定されていません。非軍事的手段を運用する戦略の研究でも、ワーデンのモデルは役に立つものです。
敵の国民の意識や行動に影響を及ぼす宣伝、広報活動を通じた心理戦は(4)の人口に関わる戦いであり、生産物や貨幣の流通を阻止する経済戦は(2)のプロセス、必需品に関わる戦いであると言えるでしょう。最近注目されているサイバー戦は敵の情報通信機関の中枢に対する攻撃を可能にするという意味で、(1)となると考えることができるでしょう。クラウゼヴィッツの重心分析を発展させることで、現代の戦略環境がいかに多層化、複雑化しているかが改めて見えてくるのではないでしょうか。