軍事学の世界で重心は何を意味する用語なのか?
軍事学の研究では、重心(Schwerpunkt)という用語に特別な意味が与えられています。一般に物理学の用語としての重心は、ある物体がどのような姿勢であっても、そこを支えれば必ず釣り合いを保って静止するような点をいいます。
しかし、軍事学では軍隊の力が凝集しており、また部隊移動の中心となる点を重心といいます。もし敵を攻撃するときは、敵の重心を狙うことが効果的であると考えられており、それを判別する要領は重心分析と呼ばれています。この記事ではクラウゼヴィッツが示した重心分析の要領について解説してみたいと思います。
兵力を中心とした重心分析の考え方
まず、クラウゼヴィッツの説によれば、基本的には兵力が集中し、最も密度が高まっている場所に重心があるとされています。一部の兵力が移動した際に生じる影響の範囲を理解することに役立つとされており、攻撃目標を選定する上でも重要だと説明されています。
例えば、ある作戦地域に敵が歩兵師団を送り込んできたとします。その事象の影響を判断したいならば、その歩兵師団を他の敵部隊と関連付ける必要があります。もしその歩兵師団が他の敵の兵力から遠く離れており、独立した作戦行動をとっているとするならば、その兵力はその作戦地区において重心であると判別できるかもしれません。それならば、その歩兵師団は作戦地域における攻撃目標として高い優先度が付与されることになるでしょう。
しかし、その歩兵師団が背後にいる巨大な兵力を掩護するための前哨にすぎないと分かったならば、その歩兵師団を重心と判別することは誤りであると言えます。その歩兵師団の背後に控える大兵力こそが重心であると分析しなければなりません。当然のことではありますが、敵が兵力を分散させるほど、重心分析は難しく、また不確かなものになりやすいと言えます。
兵力だけで重心を考えてはいけない場合もある
クラウゼヴィッツは基本的に作戦地域における兵力の密度という観点から重心を分析していますが、より広い視野で重心を分析しなければならない場合、兵力の密度で重心を判別できない場合もあることを説明しています。そもそも、その交戦国の指導者にとって軍隊が撃滅されることが直ちに致命的な効果を持つとは限らないためです。
例えば、国内で激しい権力闘争が繰り広げられている場合、その国家の重心は軍隊の兵力ではなく、むしろ首都にあると判断できるかもしれません。大国の兵力に国防を依存する中小国であれば重心は自国の軍隊や首都ではなく、同盟相手の軍隊であると判断した方が適切である場合が多いとも論じられています。民衆が反乱を起こした場合であれば、それを率いる指導者の個人と、反徒を支持する世論が重心となるかもしれません。
クラウゼヴィッツの重心の概念がこのように多義的であるため、多くの研究者は再定義を試みてきました。最近の研究では、戦略のレベルにおける重心と、作戦・戦術レベルにおける重心を厳密に分けて考えた方がよいと考えられています。Milan Vego(2007)の研究によれば、戦略の領域で軍事的手段の運用を考える場合には重心は必ずしも有効ではなく、特に非軍事的手段の運用には適していません。しかし、作戦や戦術の領域における戦闘力の運用を検討する場合であれば、重心は作戦計画や作戦指導で重要な意味を持っています。
これはいったん敵の重心を正しく判断することができれば、状況が流動的になり、敵情が不明確になったとしても、我が兵力を指向すべき作戦方向を適切に推定できるためです。敵情不明であっても、最適な攻撃の方向を推定できることは、短時間で次々と決心を下さなければならない機動戦において非常に重要なことです。防御においても、重心分析を行って敵が意図する攻撃の方向を判断するための資料となります。無論、陽動や陽攻の可能性も考慮しなければなりませんが、防御線の後方に拘置する予備隊の位置を決定する上で役に立ちます。
見出し画像:U.S. Department of Defense