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メモ なぜヒトラーは降伏しなかったのか

イアン・カーショー『ナチ・ドイツの終焉』(宮下嶺夫訳、白水社、2021年)は外交によって戦争を終わらせることができるとは限らないことについて注意を呼び掛ける一冊だと思います。これはアドルフ・ヒトラーのような指導者が自らの交渉立場に固執して敵との歩み寄りを拒否し、絶望的な状況でも終戦を望まなかったことを明らかにしています。1944年から1945年までの時期を対象にした研究であり、ヒトラー政権の動向を政治的、軍事的観点で記述しています。

ヒトラーとその側近は極めて独裁体制を構築しており、ヒトラーの意向に背くことが困難な統治構造が出来上がっていました。和平交渉の可能性との関連で興味深いのは、ヒトラーが第一次世界大戦を終結に導いたかつてのドイツ政府の降伏と、それに続いて起きたドイツ革命を二度と繰り返してはならないと固く信じていたことが明らかにされていることです。この信念はヒトラーの政治信条の中でも極めて安定して維持されており、彼が和平交渉によって事態を打開する方策を一貫して拒否する原因となりました。特に1944年以降に東西両戦線でドイツ軍が敗退を重ねる状況になって、和平交渉の可能性を探ることは絶対にあってはならないとヒトラーは考えるようになりました。

「ドイツが戦闘を継続したうえで、ヒトラーの個性が重要な意味を持ったことは言うまでもないことである。彼は頑固に抗戦を主張し続け、将軍たちや政治指導者たちがどのような代替超すを提案しても、聞き入れようとしなかった。彼のこの頑強な意志に影響されて、最後の数週間においてさえ、意気消沈し絶望的になって彼に会いに行った者が、新たな情熱と決意にみなぎって戻って来るという状況が見られた」(522頁)

ただし、著者はヒトラーの個性だけの問題として片付けるのではなく、彼の側近だったエリートがそれに積極的に歯向かうことがなかったことの重大性についても指摘しています。実際、ヒトラーに戦争終結の方法を問い詰めるような動きは、首脳部の中から起きておらず、彼らは最後まで忠誠を維持していました(同上、523頁)。これは当時のドイツにおいて政府の内部からヒトラーを政治的に追い詰めることができる制度が存在しておらず、ヒトラーはそれによって権威を保つことができたと説明されています。

「1943年7月のムッソリーニの解任は、彼自身の組織の内側のファシズム代表議会によって行われた。そしてムッソリーニの上に、少なくとも名目的には、代替的忠誠の対象――すなわちイタリア国王――が存在した。これらと似通ったものはナチ・ドイツには存在しなかった。ヒトラーは、国家元首であり、軍の最高司令官であり、政府首班であり、そしてナチ党党首だった。彼はドイツ内閣に集団的統治の形態を復活してはどうか、また、主として後継者問題を決定するための機関としてナチ党の評議会を設置してはどうか、といった提案に、一貫して抵抗してきた」(524頁)

著者も述べているように、第二次世界大戦のドイツのように敗戦国が最後の瞬間まで戦い続ける自己破壊的な行動をとることは極めて稀なことです。そのため、第二次世界大戦の事例は戦争全般の交渉行動に通じる一般的な教訓を得るためではなく、例外的な状況として見なす必要があると思います。

歴史上、ほとんどの戦争は政治的交渉の延長として遂行されます。つまり、勝算がなくなると指導者は和平によって不必要な費用を避けることを考えようとします。ただし、クラウゼヴィッツ自身が認めていたように、すべての戦争において指導者がそのように振舞うとは限りません。そのため、戦争は極めて暴力的な形態に近づく場合があります。このような意思決定に至る指導者の心理を解き明かすことも、戦争の研究において重要なことだと思います。

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武内和人
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