自由があるから欲張っちゃうよね
『欲張り』って人生の選択肢を増やす才能のことを云うのだと思う。
ブルーハーツがあれもこれも欲しいと歌っているように、欲しがってしまえさえすればそのあれやこれは人生の選択肢に追加されるようになっている。
もちろん状況によって "このステージでは選択できません" とグレーアウトされることもあるけれど。
したいことを我慢したり諦めたりする理由はこの世に溢れるほどあるのに、あの曲の中で 限りがあると謳っているのは時間だけだ。
わたしはごく稀に、欲張りな大人に出会う。
"みんななにかを諦めて大人になる" と聞けばそれっぽいけれど、実際はなにひとつ諦めていない大人も存在している。
彼と出会ったのは8年ほど前のことだ。
初対面のわたしが徹夜でつくった資料を見て『この提案でハイやりましょうって言うやつおるん?おらんやろ』とわたしのハートをブレイクしてくれた取引先の上役だった。
当時のわたしは淀屋橋の道の真ん中でびえんびえん泣き狂ったが、彼の言ったことは正しい。
そんな彼は60歳を目前に、長年やってきたギターでいつか武道館に立ちたいというのが口癖だ。始球式をやってみたいとか、銀座にオフィスを構えたいとか、船舶の免許を取りたいとか、ログハウスを設計したいとか、YouTubeをやり始めたので有名になりたいとか、叶えたい夢をいつも真剣に話してくれる。
彼はわたしの目をまっすぐ見ていうのだ。
『今はできてないけれどまだ諦めてない』
これを聞くと周りの人は『まーたそんなこと言って』となる。でも彼はそうしていくつも欲しいものを手に入れてきたことを、わたしは知っている。
もちろん欲しいと言ったところで手に入るとは限らない。けれど欲しいと思えるから手に入るのだ。
宝くじで3億当たったら何したい?という問いにこれといった要望が浮かばないわたしにとって、彼はとても眩しい。自分の中は自由だという事実を全て享受して "ほしいもの" を増やし続けているなんて、結構キラキラしていると思う。
そもそも大人って自由すぎるのだ。
自由帳をつくるかどうかすら自由にしていいよなんて、小学校では習わなかったのに。
もしもわたしが今 "好きなものだけを集めてビュッフェを開いていいよ" と言われたら、そうめんとオムライスとマンゴーだけが並んでしまう。
つまり欲張るためにはたくさんのメニューを知らないといけない。その中から自分の身を焦がすものが多くあればあるほど、キラキラしたビュッフェに変身してゆくのだと思う。
話は逸れるが、人生をビュッフェやコースに喩えるのはもはや通例なので "デザートを味わう" は慣用句にしてほしい。
慣用句って誰が決めてくれてるんだろう...岩波書店?
そんなわけなので、あなたの夢は絶対叶うし、わたしの夢もきっと叶う。自分の中は自由だから死ぬまでそう思い続けて生きたい。
どうせ自由なら欲張ってしまおうと思う。
あれもしたいし、これもしたいよ。
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