竹とお結びの活動②
前回に続き竹とお結びの活動内容についてです。
一つ目の理由については↓コチラ。
今回は2つ目です。
②頭を休める場を作る
日常で使いすぎた頭を休めてもらうために
頭で考える時間を一時的に中断する場を作りたいと思っています。
現代人は大人も子供も頭(思考)を酷使することで
心身を病んでしまうことが多いといわれています。
この場合、頭を休めるために何も考えないことが得策だと思われますが、
そうではなくて、
「あたまで考える」の対にある「こころで感じる」時間を作ることが
結果的に頭を休めることになります。
「こころで感じる」とは、
例えば花をみて綺麗だと思う気持ち、
風を全身で感じて気持ち良いと感じる心など
木々が生い茂る自然の中で
頭で考えなくても得られる感覚のことですね。
「あたま」と「こころ」の動きは
シーソーのようなものを想像すると分かりやすいかもしれません。
片方は「あたま」で、もう一方は「こころ」
思考ばかりしているとあたま側が重くなり、こころ側が持ち上がってしまうので、バランスを取るためこころに体重をかけるためこころを動かす必要がある。
あたまとこころは同時に働かせることはできないのです。
と、ここで少し話がずれてしまうのですが、
僕と竹との出会いについて。
鍼灸院での修行時代の話。
「関西のある山に新しく院を建てる。」
当時大阪で勤めていた鍼灸院の院長から話があった。
綺麗に整備された山ではなく、木々は生え荒れ放題、皆が簡単に想像できてしまう山そのものの開拓を、初めから業者に丸々お願いするのではなく、
自分達で手を入れていくことになりました。
あるときは大木をのこぎりで切り倒し、
あるときはわんさか生い茂る笹を鎌でかき分けて地面を踏み固めて道をつくる。
到底、鍼灸師のすることではないですよね 笑
このような作業を平均して週に1日、
車で片道1時間ほどかけて山に出掛けては作業を進めていました。
鍼灸という繊細な動きとは180度異なる山での作業に、
初めは戸惑うものがありましたが、
何度も山へ向かう内に心身のバランスが取れていることに気が付きます。
というのも鍼灸では常に患者さんの機微な変化を感じ取る必要があり、
経穴という治療点を探す上でも繊細な手の感覚を必要とするのですが、
山での動きは豪快かつ大胆に行わないといけない。
鍼灸の柔の動きに対して、剛を主とする山での動きとが
非常に相性が良いように感じたわけです。
とある日、僕1人で山に行くことに。
あの作業を一人でするのか、、と、初めはすごく不安だったのですが、
作業を進めているといつもとは違い自分のペースでできることに気づきます。
そんな中で、
20メートルほどもある大きな竹をノコギリ一本で一人で豪快に切り倒して、
稈(幹)を短くし枝を切っては分解していく「達成感」を味わうことになります。
どの角度でノコギリの歯を入れたら切りやすいのか、
ノコギリをどう動かしたら早く切れるのか、
そんなことを考えながら夢中で作業をしていました。
竹を分解することで得られる「達成感」は当時の僕にとって必要なものでした。
不器用な自分が鍼灸院では達成感というものを得ることが非常に少なかったので、山で竹を分解して得られる達成感が日常の活力になっていたのかもしれません。
そんなこともあり、山の中が心安らげる空間になっていたのだと思います。
山の中は車が時々通るくらいなので、基本的にはすごく静かで、
風が吹くと竹の稈がギシギシと軋む音や
竹の葉同士がサラサラと擦れる音が聞こえてくるほどで、
その音がとても耳心地が良かったことを覚えています。
忘れられない貴重な体験となりました。
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竹に関するエピソードを書いてみましたが、
大きな竹を切ることで小さな達成感を簡単に得られるので、
日頃からなんだか気分が晴れないと言う方ほど
竹の分解作業をぜひお勧めしたいですね🎍
とはいえ、竹の整備はある程度まで進めば今度は
竹林の管理の段階に入るので、
切る機会が少なくなります。
竹を実際に切るのは、枯れた竹を処分している
今がちょうど良いタイミングですので
興味のある方はぜひお早めにどうぞ 笑
続く。