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「5年後も、僕は生きています ⑲ネガティブ・エネルギーを解放することの大切さ」
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★肺癌ステージ4からの生還「僕は、死なない。」(2016年9月1日~2017年7月位までのノンフィクション)はこちらをご覧下さい。
★「5年後も、僕は生きています」(2017年8月~のノンフィクション)第1話から読みたい方は、こちらから読むことが出来ます。
⑲ネガティブ・エネルギーを解放することの大切さ
退院から3ヶ月後の2017年10月、にボクサーの友人の試合の応援に後楽園ホール行ったとき、総合格闘技のプロ選手、征矢貴(そや・たかき)選手に会いました。
(征矢貴選手)
そのとき、結婚したばかりの彼の奥さんが白血病であることを聞きました。
その数日後の10月下旬、僕は白血病の最新治療の新聞記事を見つけたので、コメントともに彼に写メを送りました。
「こんにちは。新聞記事を見つけたよ。参考までに読んでみてね。今度ご飯でも食べに行こう」
彼からすぐに返信がありました。
「こんにちは。実は先週月曜日に嫁が息を引き取りました。
今は色々バタバタしているので、落ち着いたらご飯行きましょう。
医学がもっと進歩して、一人でも多くの人に元気になって欲しいものですね」
…僕は、言葉を失いました。
この短い文章の中に、どれだけの苦しみと悲しみが、込められているんだろう…
逆にこの淡々とした文章そのものが、彼の気持ちを無理やり感じないように、抑圧し、押さえつけているようにも感じました。
僕も半年前まではその当事者だっただけに、彼の苦しみと悲しみ、そして実際にその体験を通り抜けるということが、どれだけ大変な事か、辛いことか、苦しいことか、僕なりにはわかっているつもりでした。
僕はメールを返しました。
「そっか…。それは大変だったね。当事者じゃないと分からないことが、たくさんあるからね」
すぐに返事が返ってきました。
「彼女は1年以上辛い治療を頑張ったので、いまは褒めてあげたいです。落ち着いたらまた連絡させてもらいます」
そして年が明け、2018年の2月に、僕は征矢選手と会いました。
久々に会った彼は、土気色の顔色をして、体が一回り小さくなってしまったように感じました。
喫茶店に入ってから、僕は聞いてみました。
「大変だったね」
「ええ、まあ」
征矢選手はあまり表情を変えずに言いました。
彼はやっぱり戦士でした。
ボクサーもそうですが、戦士という人種の人たちは感情をあまりあらわにしなことが多いのです。
ネガティブなものについては、特にそうです。
そういえば、僕もガンの時はネガティブを一切口にしなませんでした。
僕は言いいました。
「ちゃんと泣いた?」
「はい、泣きました。この前までずっと引きこもってましたし」
「そうなんだ。悲しいときは、ちゃんと悲しむってことが大事だからね」
「そうですね」
僕は小さくなった征矢選手に聞きました。
「体重減った?」
「はい…」
少し黙った後、征矢選手は言いました。
「実は俺、クローン病になってしまったんです」
「クローン病?」
「はい、自己免疫疾患の病気なんです。俺の場合は、自分の免疫が腸の内部を攻撃して炎症が起こるので、ご飯が食べられなくなってしまうんです」
「全然、食べられないの?」
「ええ、調子がいい時は食べれるんですが、下痢をしたり腹痛になってしまうことが多いんです。水を飲んでも、下痢するときがあります」
「そうなんだ。それは辛いな」
「ええ、まあ」
「思うんだけど、征矢は今回のことで自分のことを責めてるんじゃないの? 奥さんを助けられなかった自分をさ」
「…そうかもしれません」
「その感情が、自分の肉体を攻撃する自己免疫疾患になって現れたんじゃないのかな」
「…よく分かりません」
僕には、彼が身体じゅう大やけどを負っている様に見えました。
大好きな人、大切な人を救えなかった罪悪感と無力感。大好きな人から永遠に引き離された孤独感。
大好きな人が、この世界にはもういない、という絶望的な悲しみ。
彼自身の消化しきれていない感情の炎が、ジワジワと彼自身の身体を、今まさに焼いているように感じました。
「征矢がクローン病だってこと、みんな知ってるの?」
彼は総合格闘技の選手で、知名度のある選手でした。
「いえ、公表していないです」
「どうして?」
「治してから公表しようと思ってます」
「それは…」
それは、昔の僕と同じでした。
僕が肺癌ステージ4を公表せず「治してから報告しよう」と思っていたのと全く同じ思考回路だったのです。
「…実は僕も肺ガンのステージ4を宣告されたけど、すぐには公表してなかったんだ」
「そうなんですか?」
「うん、完全に治してから公表するつもりだった。肺ガンステージ4だったけど、治りました、って公表するつもりだったんだ。
闘病というか、ガンと戦ってる最中は、なんだか公表する気になれなくてね。
でも、緊急入院が決まってそんなことも言ってられなくなったんだ。
あのときはもうすぐにでも死にそうな状況だったからね。それで6月8日にフェイスブックで公表したんだよ」
「あ、自分も読みました」
「ありがとう。それでね、公表して感じたんだけど、すごく楽になったんだよ。とてもすっきりした。
なんだか肩の荷を下ろした感じ。身体が軽くなったんだ。
公表しないっていうのはさ、ちっぽけな考えだと思うんだ」
「ちっぽけ、ですか?」
「そう、ちっぽけなエゴというか、プライド」
「プライド…ですか?」
「そう、変なプライド。そんなもん意味ないよ、捨てちゃいな」
征矢選手は、ちょっとうつむいてから言いました。
「…そうですね。分かりました、公表してみます。もうこの際プライドとか関係ないですからね」
「そう、捨てることで得るものが必ずあるから。僕なんかそうだった」
「捨てることで、得るもの、ですか?」
「うん、そう。いつまでも何かを握りしめていると、新しいもの、新しい流れがやってきても、手がふさがっていてつかめないじゃんか。
だから放すんだよ」
「あ、なるほどです」
「自分でなんとかしよう、自分が、自分が…ってやっているうちは、すごく疲れて大変だけれど、それを手放して周囲の人や環境、流れに身を任せると、思いもよらないことが起こったりするんだ」
「…」
「自分で思っている以上に、みんなが助けてくれるんだよ。ひとりで背負っていく必要なんてない。大変なときは、援助を受け入れる、助けてもらうことを自分に許すってことも、大事だと思うんだ」
「助けを受け入れる…ですか」
「そう、それを自分に許してあげるんだよ。僕なんかそれで展開がガラッと変わったんだから」
征矢選手はしばらく黙ったあと、自分に言い聞かせるようにうなずきました。
「はい、分かりました」
「また来月くらいに会おうよ」
「はい、会いましょう」
その日の夜、彼はさっそく言ったとおりにツイッターで病気のことを公表しました。そして、僕に連絡をくれました。
「ありがとうございます。言われたとおりに病気をツイッターで公表したら、本当に足が軽くなりました。不思議です」
「抱え込んでいたエネルギーが解放されたんだよ。良かったね。これで良い方向に行くと思うよ」
「はい、そうですね、そう思います」
自分の深い部分のほんとうの感情、本音を感じること、エネルギーを感じ、キャッチしてあげること。
そしてそれがネガティブなもので、自分を苦しめてしまうようなものだった場合、それを自分の外に出してあげること。
僕は緊急入院が決まった直後、父にほんとうの気持ち、想いを話をしたことで“悲しみ”という自分の中に溜まったネガティブなエネルギーを排出することが出来ました。
あのとき、両親と別れた直後、本当に身体が軽くなりました。
僕のガンを作った原因であるネガティブなエネルギーが僕の身体から出ていったのです。
僕はそのとき確信しました。
ガンを作り出したネガティブなエネルギーが身体から出ていった、なくなった。
あとは,、もう治るしかないじゃんか!
おそらくそれが、僕の病状の改善につながっていたと思います。
ネガティブな感情を外に出すことが、身体の不調を改善する。
たぶん、それはほんとうの事だと思います。
今回は僕だけじゃなく、征矢選手もそうでした。
でも、自分の中にある感情、しかも今まで気づかなかった何層もの深いところにある感情に気づくようになるのはほんとうに大変だし、骨が折れます。
それはほとんど無意識のレベルにまで押し込められているからです。
だからこそ、心理学という学問が大切なのだと思います。
常に自分の「自我・エゴ」を見張る。
「常・照・我」(じょう・しょう・が)
とはいっても、それはなかなか大変ですが、少しでもそれが出来たとき、エゴの暗闇の中に意識の光が射し込むのです。
無意識のレベルにまで押し込められた感情や思い、あるいは信念・枠組み・信条などが意識の光に照らされて外に出てきたとき、人は「変わり」ます。
より「自由」に
より「その人」らしく
より「自然」に
それが「エゴ」が落ちていく、という事なのだと思います。
意識の光に照らされたエゴは、勝手に落ちていくのです。
このあたりは「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」に詳しく書かせていただいています。
⑳へつづく