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❖木々たちに教えられたSDGs❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月5日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を) 

◆木々たちに教えられたSDGs◆
この前、散歩をしていたら、木々たちに教えられた気分になった。その木々たちは近所の公園に集まっていた。いずれもなかなか大きくて立派である。しかし立派さは大きさ以上に、彼らの生き様の中にあった。木々はそれぞれ色も違えば、形も違う。それが身を寄せ合って暮らしている。それはお互いの違いを認め合った「多様性に対する寛容・共存・共生」のお手本だった。

冬は虫も姿を消し、虫を食料とする生き物にとっては厳しい季節である。また気温の低下も生命活動の継続にとって深刻である。だから生き物たちは土の中などに身を隠し冬眠して、この厳しい状況を乗り切ろうとする。それは生き物たちは自由に動けるから、できることである。

木々たちだって寒いはずだが、彼らはそんなに自由には動けない。食虫植物などを除けば、彼らは虫などを食料にはしない。彼らは、土から水と無機養分を引き上げて生きている。彼らにとって、太陽から注がれる光も大切な糧である。しかし、自由に動けないので、それぞれが産み落とされた立ち位置で「光の豊かさ」に格差が生じてしまう。

それはまるで出身や家柄のようなもの。人間の中には、それを「親ガチャ」と呼んで、自分にふりかかった災難であり、乗り越えられないもののように捉える者も増えている。

しかし木々たちはそこで終わりにしない。彼らは自分たちのできる範囲で、その格差を解消しようと最大限の努力をする。動けない代わりに何ができるか必死に考える。自分の枝や葉を縦横無尽に張り巡らせて、自分だけができるだけ沢山の光を集めるということを我慢する。だから枝や葉の形が歪になる。しかしそれを受け入れる。自分にとっての最大幸福と決別し、最大多数の最大幸福を考える。無限に注いでいるわけではない太陽の光を、枝や葉を広げすぎないようにして、お互いに分け合い支え合って生きている。

この姿勢こそまさに、「誰一人取り残さない(leave no one behind)」というSDGsの根本理念である。自由に動けず行動の選択肢が少ない木々たちでさえ、一生懸命、豊かさを分け合い支え合う工夫をしているにも関わらず、自由に動けて様々な道具を使いこなし新たな仕組みも作り出せる人間は一体何をしているのだろうか。

理性とは何か。叡智とは何か。彼らに教えられるとともに、人間の一人として恥ずかしい気持ちになった。
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