❖毎日届く生葉書❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月2日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆毎日届く生葉書◆
私が住んでいるマンションの部屋のドア前には、毎日のように便りが届く。私の住んでいるマンションは向かい側にもマンションが迫っているし、エントランスはオートロックなのに、どこから持ち込まれたのか、ドアを開けるとその前に便りが置かれている。多分、郵便局が秋風を雇ったのだろう。秋風配達員は、来る日も来る日も休まず便りを届けてくれる。宛名はないから、本当に私宛なのか分からない。差出人の名前すらないのに配達するなんて、配達員さんはどれだけうっかり者なんだろう。しかし、差出人の名前がなくても、誰が差出人か一目瞭然のときもある。一昨日はイチョウだった。そのときは私がわざわざ返しに行った。だが親戚が集まって住んでいるのだろうか。その場所は同じ名字の家ばかりで、誰が実際の差出人か分からなかったので、近くの通りにそっと置いて帰った。昨日の差出人は分からない。以前は同時に二通も届いたこともある。今日は一段と綺麗な便りが届いていた。緑から茜色への移り変わりのグラデーション。差出人が分からないので預かっておくしかないが、風が運んでくる季節の便りは、そんなに長くはその姿を保っていられない。葉書は葉書でも、鮮度を保つのが難しい生葉書。過度に湿潤ならば朽ちてしまう。逆に乾燥が進めば脆くも崩れて粉々になってしまう。琥珀の中ならば、色艶もそのままに、美しい姿を残すことができる。琥珀の中の時間は止まっているはずなのに、「活き活き」としたまま。ベルクソンに言わせれば、「生命の躍動(エランヴィタール)」。それをそのまま閉じ込めることができる。だが琥珀が出来上がるまでの長い年月を、私が生き続けることはできない。現実的には押し花の要領。そうして時間は止められても、あの躍動を繋ぎ止めることはできない。一瞬吹いて通り過ぎていく秋風と同じく、秋の鮮やかさは簡単には繋ぎ止められない。流れるように、躍動するように、鮮やかな装いが移り変わるからこそ、秋は尊いのである。明日の便りは何色だろうか。