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❖有限性がもつ儚き魅力❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年1月4日)
(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)
◆有限性がもつ儚き魅力◆
箱根駅伝は青山学院の2年ぶりの総合優勝で幕を閉じた。こうして連日、箱根駅伝に絡めた記事を投稿しているが、私はかつて箱根駅伝が好きではなかった。好きではなかったというと、何らかの積極的マイナス要因がある感じなので、正確に表現すると、箱根駅伝の魅力が分からず、テレビ中継を見ることがなかったということになる。しかし日本に住んでいるときも、一時帰国したときも、気づくと箱根駅伝を見るようになっていた。
見始めたのは、多分、大学3年生になってからではないかと思う。大学生のとき、私は体育会の卓球部に所属し、3年生のときは主務の立場にあった。私が主務だった年、「四大戦」という成蹊・成城・武蔵大との定期戦は本院が会場校だった。また甲南大学との定期戦もこちらが会場校だった。さらに関東学生リーグ戦も本院が会場校で、それらの運営責任は会場校の主務にあったので、とにかく忙しかった記憶がある。また幹部学年ということで、試合結果に対する責任も強く感じていた。特に、リーグ戦はブロック最下位で、下の入れ替え戦対象となり、何十年と降格したことのない下位ブロックへの降格の危機に直面して、監督やOBから厳しいお言葉をいただいた。
そんな経験が、箱根駅伝を取り巻く様々なドラマに対する共感を呼び起こしたのだろう。
箱根駅伝は本戦で上位10位に入れば「シード権」が得られ、次回大会もそのまま本戦に参加できる。しかし11位以下は、予選会を戦い好成績をおさめなければ本戦には参加できない。このシード権が取れるかどうかは天と地の差である。
また、襷を次の走者へ繋ぐためには1位の大学が通過してから一定時間を超えると、襷を待たずに繰り上げでスタートしなければならない。今回はわずか7秒足りず、無念の繰り上げスタートをした大学もあった。
これらのドラマに加え、箱根駅伝は学生スポーツなので、在籍している数年間しか参加することができないため、社会人スポーツよりも有限性がある。
このように箱根駅伝には、シード権という「順位の有限性」、繰り上げスタートという「時間の有限性」、在籍という「所属の有限性」をめぐるドラマがある。これ以外にも、脱水症状・ハンガーノック・故障など走行トラブルに関わる「完走の有限性」や、当日のエントリー変更を含め実際に走る10人にエントリーされるかどうかに関わる「登録の有限性」もある。
こういった有限性は、社会人スポーツ・プロスポーツよりも、学生スポーツの中に散りばめられていると感じる。また昇格降格なしのリーグ戦よりは、それがあるリーグ戦の方が、さらにそれよりもトーナメント・コンテスト形式の方が有限性を感じる。だから、私は「一発勝負」、「負けたら終わり」、「降格圏内」、「シード権」といった言葉に反応してしまうようになっている。
大学3年生になったとき、自分も卓球部において類似した「有限性」を自覚するようになり、それが箱根駅伝への共感を呼び起こし、箱根駅伝で繰り広げられるドラマが「自分ごと」になって、それから見るようになったと考えられる。
来年はどんなドラマが待っているだろうか。
#箱根駅伝 #シード権 #繰り上げスタート
#自分ごと
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