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【一人で勝手に旅気分】179
(過去の旅についての振り返りです)
★ 「旅」に短し、「暮らす」に長し(2019年10月11日)
旅をしていると、もっと時間があれば色々回れたのにという感じで、十分に回り切れなかった気持ちになることがあります。
でもそれは限られた時間で訪れている「旅」という状態ならではの嬉しい悩みなのではないかと最近は感じるようになってきました。
実際に暮らしてみると、当然のことながら旅よりも長い時間、その国に滞在できるわけですが、私の場合シンガポールもタイもラオスも、それによって多くの場所を回れたという手応えはあまりありません。
いつでも行けるから今日でなくてもいいという感覚が芽生え、いつまでも訪れずに終わる有名スポットが数多くあります。そのため、逆に滞在している多くの時間をかなり持て余していたという気持ちの方が強いですね。
だから、「旅」として限られた時間で頑張って回ろうとし、回り切れないくらいが丁度いいのではないでしょうか。料理などでも、あともう少し味わいたかった、食べたかったという方が、また次の機会に食べたいと思えるので、良いイメージで記憶されると思います。
4年前にインドの国際ボランティアキャンプに参加したとき、その前後のわずかな時間でインドを散策しました。そのときは、有名スポットをあまり回ることができず、もっと自由に回れる日程を確保しておけばよかったという後悔がありました。
ボランティア拠点に近いカルカの街を多少回ったり、何とかタージマハルには行ったりしましたが、ブッダガヤやサールナートのような仏教ゆかりの場所には行けませんでした。
しかし、それによってまたインドに行きたいという強い気持ちが今でもしっかり保存されています。「旅」という一過性のイベントは、そういう色褪せることのない願望を作り出してくれると思います。おそらくインドに暮らしたとしたら、私の場合、多少は遠出するかもしれませんが、いつでも行けると考えて結局行かず、逆に時間を持て余しているというネガティブな感情の方が強くなるでしょうね。
事実、去年1年間、せっかくタイに住んでいたのに、チェンマイどころか、アユタヤにさえ行っていないのですから。
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