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サヨナラ東京
いきなりだけれど、坂本九の曲についての記事ではない。
こんな想いを抱えながら今もきっと、流れては消えて行く高層ビルの群れを眺めている人がいるんじゃないだろうか。
なんてことをふと思ったのはドラマ『ビーチボーイズ』を観たからだ。
当時流行していた頃、周りの女子達が「キャー!反町!」「ギャー!竹野内!」と騒ぎに騒いでいたので『イケメン陽キャが海の家でバイトしながら夏の恋に勤しむ恋愛ドタバタコメディー』だとばかり思っていた為、未視聴のまま二十七年が過ぎた。
僕は反町隆の顔が非常に好きなので食わず嫌いしているのも何だし……観てみるか……と思って視聴してみたところ、一話目でまんまとハマってしまった。
ビーチボーイズはチャラついた恋愛ドラマどころか、しっかりとしたヒューマンドラマだったのだ。
余談だがこれが「マウンテンボーイズ」だったら……
「だから田中さんとこの畑には絶対に入んなって言ったっぺな!」
「違ぇんだよ!熊が出たから逃げ込んだんだってば!」
「バカタレ!田中のジジイは頭イカレてんだから、『俺の畑を荒らした犯人見つけてぶっ殺してやる』って、朝から猟銃もってウロついてんだど!」
「そんなん知んねーよ!」
となる上、毎度イノシシや鹿や熊との闘いになるだろうからドラマにはならんだろうな……となんとなく妄想した。
上記の話しは完全にどうでもよろしいことなので無視して進んで頂きたい。
ビーチボーイズはじいさん(マイク眞木)と孫(広末涼子)が営む民宿にガソリン切れを起こした車を押し歩くイケメン二人がたまたま流れ着くところから始まる。
キャラクターそれぞれが歯痒い想いを抱えていたり、どうにもならない事情を抱えていたりしつつ、それぞれがそんな現実と向き合う姿が髄所に描かれているが、肝心な部分は舞台が海水浴客向けの民宿という点。
ひと夏の間、そこへ来る人々はしばし現実を忘れ、疲れた羽根を伸ばしにやって来る。
そして、元気になって帰って行く。
主人公のイケメン二人も挫折をそれぞれに抱えていて、現実から逃げるようにして民宿で働くようになる。(給料は二人で一人分)
物凄く熱いドラマかと言えばそうでもないし、大きな出来事があるかと言われたら終盤までほとんど起きる訳ではない。
淡々としているようで、少しずつそれぞれが向き合わなければならない現実と向き合い、やがて答えらしきものを出して行く。
民宿の主・マイク眞木は終盤で自身のかつての夢だったサーフィンに挑戦することになる。
堕胎的な日常の中でいつの間にか忘れていた夢を叶える為、主人公達や街の人が一緒になってトレーニングに寄り添う。
そして、一度目は大失敗したもののトレーニング後に波に乗ることを叶える。
ここで周りは年齢のことを考え、天気の悪い日はサーフィンをしないようにと約束をさせる。
しぶしぶ承知するマイク眞木だったが、早朝に波が高くなるのを一人ラジオで聞いていた。
翌朝。姿を消したマイク眞木を探すものの、反町が変わり果てた姿を発見する。
人が亡くなること、そしてそれぞれが大きな死と向き合うことをギリギリリアル過ぎない距離で描いた良い回だと僕は思った。
「警察でさ……笑っちゃうんだけど……あのオッサン、俺らにサバよんでたんだよ」
そう泣き笑う反町に、竹野内豊が「かわいいよな」と返す。
こんなちょっとしたシーンが、なんともじんわり来た。
あぁ、この感覚はなんだっただろうか。
そう思っていたら、このドラマの脚本家の方は「海がきこえる」をヒントにビーチボーイズを執筆したのだそうだ。
故・氷室冴子先生の代表作であり、僕的にはジブリの最高傑作である「海がきこえる」から生まれたからこそ、美しい静けさや映像の行間がふんだんに盛り込まれているのかしら、とも感じた。
だから違和感なく観れたんだなぁとも思ったし、ずっとその場所に在る幸せではなく、いつか離れる為の居場所を描いているのにも妙に納得できた。
若い頃に観ていたらきっと反町隆史や竹野内豊に釘付けになってカッコいい!となっていたんだろうけど、今さら観てみたビーチボーイズで一番カッコいいのは間違いなくマイク眞木だった。
どんな風にカッコいいのかは、(書くのが面倒なこともあり)、是非とも鑑賞して感じて頂きたい。
東京という場所もまた、いつかは離れる為のいっときの居場所なのかもしれない。
とても大きくて、煌びやかで、みんなが輝いているように見えて、でも何処か寂しげで。
今、この瞬間に東京を離れる人の目にはその景色がどんな風に映っているのだろう。
寂しいだろうか。悔しいだろうか。嬉しいだろうか。それとも、憎いだろうか。
行ってらっしゃいもサヨナラも言わない東京に、振り返って手を振る人はいないのかもしれない。
でも、行き先があるのならそれで良いのだとも思う。
置かれた場所で咲きなさいなんて、咲いたことのある人間の戯言だ。
枯れる前に逃げなさい。
そんな言葉があっても良いじゃねぇかとも、思っている。
咲きもせずに枯れることだって、植物にも人にもあるのだから。
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