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「離島で保健師をやってみた」 第1回 〜沖縄の離島医療について〜
沖縄の小さな離島の村で保健師として従事した公衆衛生活動をマジメに、そして、離島の一住民として生き抜いた激動のサバイバル生活をおもしろおかしく、ご紹介したいと思います。
私が保健師として、そしてその島の住民のひとりとして、お世話になった離島は、沖縄県の本島に近い、「座間味村」という離島の村です。沖縄本島から高速船で約1時間ほどのところにある島です。人口は約800人で、村そのものもいくつかの島に分かれており、離島の離島を抱えている自治体となります。ちなみにこの村は、第2次世界大戦で、はじめて地上戦が行われた島でもあり、戦争時代に様々な悲しい出来事が起こっています。
村の住民は主に3つの島々に分かれて暮らしています。それぞれの島には小さな船で行き来をする必要があります。島に住んでいるときは、ほぼ毎日、この小さな船に乗って、それぞれの島を行き来していました。じつは、日本には、このような離島が数多く存在します。それぞれに診療所(医師、看護師駐在)があり、そして島の保健師が住民の健康を守っています。
さきほど、戦争のお話をしましたが、沖縄は第2次世界大戦後(1945年から1972年まで)までアメリカによる統治が行われていました。当時の医療システムは、アメリカによる指導や教育システムがあり、看護婦と公衆衛生看護婦、そして医師→医師不足から医介補という、医師ではないが、医師と同じような診断ができる職業を一時的に設置しました。沖縄返還後、その医介補の養成は消滅し、少しずつ減少して、現在では、すべての医介補はいなくなりました。
公衆衛生看護婦制度は、前述の離島の住民の健康を守る存在として、大きな役割を果たしていきました。返還後に保健師と名称が戻りましたが、離島に保健師を派遣するシステムは平成10年まで継続されていました。その後は各離島の自治体が保健師をそれぞれ採用するシステムとなり、コンスタントに保健師が離島に派遣されていた「駐在保健婦」時代から一変して、離島の保健師は、なり手が少なく離職率も高いため、現在では慢性的な保健師不足となっております。
(続く)
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